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進路選択は本人のペースで(後編)

沈黙を続ける子は

 他方「沈黙を続ける子」の場合、何も表明できないままズルズルと学年末まで行ってしまうことが、まれではありません。
 学年末まで何も意思表示がなかった場合、高校生なら留年させて考える時間を与えることも可能ですが、中学3年生の場合は進路が決まらずに卒業して、どこにも所属しない状態になることがあります。
 もちろん高校生の場合も、留年を嫌がって中退し、やはりどこにも所属しない状態になることがあります。

 このように、不登校は学校内外のスケジュールに乗りにくい状態であり、また乗ってくれたように見えても内実は無理しているだけ、ということも少なくないわけです。

 それでも進路選択にあたっては、本人を学校内外のスケジュールに従って、考えさせ決めさせなければならないのでしょうか。

進路選択は誰のため?

 もともと「学校内外のスケジュール」というものは、学校に通っている子を対象としたプロセスであり、不登校状態の子にとっては、いろいろな意味で無理があります。

 たとえば、中学3年生の場合。内申書への記載をどうするかなど、学校に通っている子が直面しない課題が出てきます。この点ひとつとっても、親子ともども神経をすり減らして考えなければならないのです。

 そのうえ、繰り返し述べているように「不登校状態からの進路選択」は、
本人にとって五里霧中のなか手探りでゆっくり進めていかざるを得ない事柄です。
 それにもかかわらず、学校内外のスケジュールに従わせようとすれば本人の“焦り”が募って、不確実な進路選択が行われやすくなってしまいます。

 このように考えると、不登校状態の子は学校内外のスケジュールに従わなくてもよい、と言って差し支えないと思います。

 「進路選択は誰のためのものなのか」という原点に立ち返り、学校内外のスケジュールより本人のペースを優先することです。言い換えれば、学校内外のスケジュールから伝わってくる圧力から本人を守り、本人が安心してゆっくり自分を見つめる環境をつくることです。

 「そんな悠長なこと言っていられるのも今のうちだけだ」
 「年が明けたら志望校を決めないと間に合わないのに」
 「願書を出さなければ、受験できなくなるじゃないか」

 “焦り”は親御さんや学校の先生も同じですよね。
 果たして本人たちは「安心してゆっくり自分を見つめる環境をつくること」で、学校内外のスケジュールに間に合うのでしょうか。

 次回、この点について少々大胆な提案をさせていただきます。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第89号(2004年11月17日)

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※今年は、新型コロナ禍のため学校内外のスケジュールがここで記述している例年のそれとは少し違うかもしれません。ただ、自分の外部のスケジュールによって“焦り”が募ってしまう本人の心理は、いつの時代も同じだと思います。

※拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』に収録した約50本は一部を除き転載しませんので、ご関心をお持ちの方は同著を入手してご一読ください。

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