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芯付きラッキョウ風玉ねぎ(後編)

「心の<皮>をむく」とは

 多くの不登校/ひきこもり状態にある人の心=玉ねぎには、前述のように自己否定的な考え方感じ方で形成されている<皮>が幾重にも重なっています。そのため、この<皮>を一枚一枚むいていかないと<芯>にまで到達しません。
 この場合の「<皮>を一枚一枚むく」というのは、本人が考えていること感じていることに、ひとつひとつ対処していくことを指します。

 ただ、この「対処する」という対応は、多くの場合一筋縄ではいきません。よく書いたりお話ししたりしているように「そんなことはないよ」とか「こう考えたらいいじゃないか」などとまともに反論していては、本人は「自分の考えていること感じていることを否定された」としか受け取らない
からです。

 そのため、ひとつひとつのテーマを細大漏らさず一緒に悩みながら考える、という対応が望ましいことになります。

 こう言うと「それはラッキョウの皮をむくようなものではないか」と反論されるでしょう。「ラッキョウの皮をむくように・・・」と言うのは、むなしいことをしている、答えの出ない問いを追求している、などという意味を持つ表現です。「ラッキョウには芯がないから、いくら皮をむいても何も出てこない」ということから来ています。

 確かに、本人は取り返しのつかないことにこだわっていたり、答えの出ない問いを繰り返していたりします。そのため、本人が親をつかまえて堂々巡りの話を延々と続けている場合が少なくありません。

 これは一見「ラッキョウの皮むき」そのものです。しかし、このような混迷の先に<芯>が見えてくるなら、これは「玉ねぎの皮むき」にほかならないのです。

皮むきの苦痛を工夫で軽減

 もちろん、これはご家族にとってはとても大変なことです。本人のこだわりが強いほど一緒に考える時間が長くかかりますし、本人の状態によっては考えているうちに荒れてしまう場合も少なくありません。

 玉ねぎの皮をむくときに目が痛くなって涙が出るのと同じように、本人の心=玉ねぎの<皮>をむくときも、実際に涙を流すこともあるくらい、本人にも家族にも大きな苦痛を強いる作業になります。
 そこで、そういう苦痛を軽減するため、ほんとうの玉ねぎの皮むきと同様工夫が必要になります。

 工夫と言っても、特別なことではありません。本人が荒れないコミュニケーションの仕方、体力的時間的に無理のない方法(「これ以上つき合えない」という一線など)、普段の家族生活の楽しみ方、家族以外の人からの協力の得方、等々を考え実行するだけです。これを不登校/ひきこもり状態に詳しい相談員などに相談しながらできればなお安心です。

 そういう工夫によって苦痛が軽減したら“心の皮むき”は順調に進み「納得したところで話を切り上げるようになった」「あれほど言い募っていたことを言わなくなった」などという変化が出てくるわけです。

 具体的な“<皮>のむき方”を含め、不登校/ひきこもり状態にある人への対応について、今年も毎回考えていきたいと思います。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第173号(2010年1月13日)

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