〔親の言葉から①〕「親の気持ち(愛)が伝わりません」(前編)
親御さんによって表現に違いはありますが、このような意味の言葉がときどき聞かれます。
不登校/ひきこもり状態のわが子に対して、親御さんは思い悩みながら、本人のために良いと思える、あらゆる対応を試みます。「これほど真剣に本人のことを考えているのは初めて」と感じている方が多いことでしょう。
ところが、本人はと言えば、そんな親の思いはどこ吹く風、親からのどんな働きかけも頑として拒み、いつまでたっても変化する兆候を見せません。それどころか、善かれと思ってやった対応に「傷つけられた」「余計なお世話だ」などと反抗されることもしばしばです。
親御さんは、自分の気持ちが一向に通じない、それどころか裏切られるばかり、お前のためにこんなに悩んでいるのに、一体いつになったらわかってくれるのか・・・などと、報われない現実に立ち尽くすしかありません。それどころか、わが子の反応によっては「人の気持ちを感じることができないほど人間性が欠落しているのではないか?」とまで心配が深まってしまう親御さんもおられます。
本人に、親の気持ちは本当に伝わっていないのでしょうか。
ご存知かと思いますが、子育ての原則としてよく言われることのひとつに「叱るときは行為を叱れ、人格を叱るな」というものがあります。
子どもが悪事を働いたときには「悪いことをした」と叱るべきであり「悪い人間だ」と叱るべきではない、ということですよね。
これは「人格」と「行い」を区別せよ、否定すべきは「行い」であって「人格」ではない(「人格」を否定することは本人の存在じたいを否定することになってしまう)、ということです。
私は、本人の多くは、この原則をはじめから身につけていると思います。
この原則を、親と子の立場を変え「悪事」を「不適切な対応」に、「人格」を「愛情」に、それぞれ変えて読み直すと、どうなるでしょうか。
親に不適切な対応をされたと感じた子どもは、親が「不適切な対応をした」と反抗するのであって「愛していない」と反抗するのではありません。これは「親の不適切な対応の原因は、親の愛情のなさではなく、あくまでそのときの判断が正しくなかっただけに過ぎない、だから親に愛情がないと攻撃することは、親の存在まで否定することになる」という意味になります。
このように読んでみると、親の愛がわが子に伝わらないかのように見える理由がわかってくるのではないでしょうか。
つまりこういうことです。
子どもが親の対応に「傷つけられた」「余計なお世話だ」などと反抗するのは、それがそのときの自分にとって不適切だったからです。だたし不適切というのは、そのとき本人がそう感じた、という意味ですから、必ずしもほんとうに不適切だったとはかぎりません。
つまり、子どもが親の対応に反抗するというのは、その対応をさせた原動力である「親の愛」それじたいを否定しているのではなく、あくまで「親の対応」それじたいを否定しているだけなのです。
<後編に続く>
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