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〔経験者は同じことを言う②〕イチロー選手に学ぶ自律と適応(後編)

セオリーより現状から

 不登校児/ひきこもり状態の人は、きっかけはどうあれ一般的な人生とは
違う道に進んでしまった人たちです。したがって、そうなった以上はそこから再スタートする以外に道はありません。

 ならば、世間でセオリーどおりとされている生き方が合わないのは当然のことであり、自分の現状に合った生き方でないと、本人たちの再スタートはうまくいきません。

 たとえば、人のためになる仕事をしたいと願っているひきこもり状態の人
なら、就職をめざすことを中断してボランティア活動を1年でも2年でもやってみる。人生を楽しめる自分になりたいと願っている不登校状態の子なら、1年間やりたいことだけをやる・・・などといった具合です。

 これらは決して現実逃避の生き方でも無駄な歳月でもなく、立派な人生経験であり、かつ自分のなかに実績として残ることです。だからたくさんの学びや生きる感覚が得られますし、冒頭に再録した「自律力だけで参加できても、周囲とうまくいかなかったときに折り合いをつけることができずに挫折して」という心配も、無用のものになっていく(=折り合いをつけることができるようになる)のです。

 このような“回り道”をして自分なりに経験や実績を積むことによって、本人たちは新しい自分を確立したうえで、大きな世界に適応できるだけの自信と術を得ることができるわけです。

自律とは内なる声に従うこと

 実際、回り道をせず一気に学校や社会に適応することをめざしている不登校/ひきこもり状態の人は、私の知るかぎりなかなかうまくいきません。

 本人たちは「遊んだりフリースペースに通ったりすることは、自分が学校
/社会に適応するという目標を達成するためには役に立たない」「最も効果的な方法を用いて、最短距離で目標を達成しよう」という思いで頭がいっぱいになっています。ただ、とても苦しそうです。

 しかし、本人たちの奥深くから自分自身に投げかけられているメッセージ
は「順序が逆だ」「まずは自分の欲望に従え」というものなのではないでしょうか。そしてその“内なる声”に耳をふさいでいるから苦しいのではないでしょうか。

 “適応至上主義”ではなく“自分至上プラス外部の価値観を取り入れる“という生き方こそ、不登校/ひきこもり状態の人が無意識のうちに求めているものなのではないでしょうか。

 まとめますと「自律力」とは「自分の内なる声に従う力」であり「適応力」とは「集団のなかで要求される価値観に従う力」だ、ということになります。

 どちらも大切な力ですが、不登校/ひきこもり状態にある人の場合は、ど
うやら優先順位をつける必要がありそうです。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第145号(2007年9月13日)

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※冒頭にありますように、メールマガジンのバックナンバー掲載文から厳選100本(予定)を転載しているこのnote。前回と今回の文章は「自律」をキーワードにした13年前の文章です。

※拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』にはこの文章も収録していますが、それ以外は一部を除き転載しませんので、ご関心の方は同著を入手してご一読ください。

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