本丸を攻める前に堀を埋めよう(前編)

 大河ドラマ「麒麟がくる」が好評のようです。そこで本稿では、舞台となっている戦国時代にちなんだ喩え話をしたいと思います。

 不登校/ひきこもり状態のわが子と接する際に、何かを「言っていい「やっていい」と判断できたとき、どんなことなら「言っていい」「やっていい」のか、という基準です。

 不登校/ひきこもり状態にある人の生活には、大きく分けて「学校に行かない=不登校」や「社会に出ない=ひきこもり」という、周囲が(多くは本人自身も)“問題”として捉えている行動と、それ以外の、たとえば家事を手伝う、ゲームなどの趣味を楽しむ、いろいろなことを考える・・・などといった行動の、ふたつがあります。

 私はこれを、昔の「城」にたとえ、不登校/ひきこもり状態にある人への関わり方を、戦国時代の「城攻め」にたとえて説明する場合があります。

 つまり、不登校やひきこもりという“問題そのもの=本題”を「城の本丸」に、それ以外の要素を「城の堀」にたとえ、本題の解決をめざして関わることを「本丸を攻める」と表現し、それ以外の要素に関わることを「堀を埋める」と表現しています。

 すなわち、不登校/ひきこもり状態にある人を「正そう」「治そう」とすることが「本丸を攻める」関わり方で「丸ごと肯定しよう」「仲良くやろ
う」とするのが「堀を埋める」関わり方です。

 親御さんや学校の先生など周囲の人々の多くは、わが子や自分のクラスの児童生徒が不登校/ひきこもり状態になった当初「なぜ学校に行かないのか」「なぜ社会に出ないのか」といった“原因(理由)探し”に心を砕きます。

 しかし、理由を問い詰められた本人は、うまく説明できず、沈黙を通したり、もっともらしい説明をしたりします。

 たとえば「いじめにあったから」「親が○○したから」などといった、自分のこだわり(私は“荷物”にたとえています)の説明を試みます。

 すると周囲の人々の多くは「そんなこと忘れろ」とか「過ぎたことにいつまでこだわっているんだ」などと、本人が背負っている“荷物”をおろさせようとします。

 また「これからどうするんだ」「そんなことでいいと思っているのか」等々、数々の叱責が本人に浴びせられます。
 きわめて常識的であり、一般的な関わり方です。

 考えてみれば、親御さんや学校の先生など周囲の人々の関心は、本人が「学校に行かない」「社会に出ない」という一点に集中しているわけですから、この関わり方がほとんどの家庭や学校で行われるのは当然のことでしょう。

 ただ、不登校/ひきこもり状態にある人たちは、周囲からそのように関わられるほど、ますます状態が悪化することがよくあります。たとえば「登校刺激(登校させようとする対応)をすればするほど、本人の状態が悪くなる」というプロセスは、よく知られています。

                           <後編に続く>

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