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あじさい電車のように(後編)

一直線よりジグザグの道を

 不登校/ひきこもり状態の人たちは、周囲から「学校/社会への復帰」を求められています。これを「山の頂上」にたとえますと、本人たちは「頂上
に向かって一直線に進むことは危険だから、あるときはそれまで進んでいたのと逆方向に進みながら、距離と時間をかけてゆっくり登っていくことが、自分に最も適した進み方だ」と直感しているからこそ、一進一退を繰り返しているのではないでしょうか。

 箱根登山電車に乗っていた私が、スイッチバックによって突然電車が反対に走り出した瞬間驚いたように、しばらく前進しているように見えていた不登校/ひきこもり状態の人が、突然反対方向に歩き出したら周囲は驚きます。しかも、事は電車ではなく不登校/ひきこもり状態ですから、驚くだけではすみません。何とかして歩いている本人を止めようとなさることでしょう。

 考えてみれば、箱根登山電車に乗っていて驚いたのは、私が「電車は一方向に走るのが当たり前」という思い込みを持っていたからです。不登校/ひきこもり状態でも、周囲の人々は「本人は徐々に前進(回復?)するのが当たり前」という思い込みをお持ちなのではないでしょうか。

 そのため「頂上(=学校/社会への復帰)に最短時間で到達させるため、一直線に登らせる対応を」とお考えになるわけです。

 しかし、そういう対応をしたら本人はどうなるでしょうか。車と電車の場合と同様、登るために膨大なエネルギーを費やすばかりか、その負荷の大きさに本人の心は疲弊し、早晩対応が通じなくなってしまう恐れが多分にあります。

 先に述べた「距離と時間は長くなっても、くねくねジグザグの道のりこそが最も安全確実だということ」は、不登校/ひきこもり状態にも当てはまるわけです。

悔いのない目標を

 ただし、鉄道の駅は最も高いところでも山の頂上ではなく、それより多少低いところにあります。これを不登校/ひきこもり状態の歩みにたとえますと、本人たちは、当初は頂上(=学校/社会への復帰)をめざして歩んでいますが、その道々咲いている多種多様な紫陽花(=人々)と出会い、その魅力を感じていきます。

 すると本人たちの目標は「頂上に到達すること」から「自分なりの花を咲
かせること」に変わっていきます。それは「身の丈に合った自分に生まれ変わる」「納得できる生き方を自分で選ぶ」など、人によってさまざまです。

 そして、それが実現したとき(=最も高いところにある駅に到達したとき)、そこから頂上(=学校/社会への復帰)へ向かうかどうかは、自分で判断します。そうなると、その判断に迷いも悔いも残りません。

 このように見てくると、不登校/ひきこもり状態にある人のゆっくりとした行きつ戻りつの歩みは、決して時間の無駄などではなく、むしろ必要な
進み方だと思われるのです。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第188号(2011年6月22日)

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※不登校/ひきこもり状態の多くは、本人が行きつ戻りつするのが特徴ですが、そのポジティブな意味を本稿でご理解いただければ幸いです。

※今月のカバー写真は箱根登山鉄道の駅から線路を撮ったものです。急こう配であることがおわかりいただけますでしょうか。本稿を転載する今月にふさわしい写真として選びました(今回以外は関係ありませんが笑)。

※このメルマガバックナンバー掲載文、拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』に収録した約50本はほとんど転載しませんので、ご関心をお持ちの方は同著を入手してご一読ください。

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