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〔経験者は同じことを言う③〕同じ方向を見るということ(前編)

※2002年10月に創刊し、掲載文が200本を超えたメールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本(予定)の掲載文を、毎週1本ずつ転載しています(字句や一文など小幅な修正をしている場合があります)。

※筆者である私が10年以上前から書いたり話したりしていることと、同じことを書いたり話したりしている元当事者がいます。引用なのに「丸山からの引用」と明示しない場合もありますが、多くは偶然です。そこで今月は、そういう部分が含まれている掲載文を転載していきます。お読みになって「この部分はあの人が話して/書いていたことと同じだ!」とお気づきになる方がいらっしゃるかもしれません。

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親はどっちを向いているか

 神奈川県立保健福祉大学准教授の小林正稔氏は、親が心がけるべきこととして「親の後ろ姿を見せること」とおっしゃっています。
 これは文字通り「わが子をどうするか」ではなく「自分がどう生きるか」を第一に考え、自分の生きざまをしてわが子に何かを感じてもらうということだと思います。

 すなわち、自分の人生を楽しく充実したものにしようとしていること、生きる喜びや働く意味を感じていること、でもときには悩み苦しむひとりの人間であること、といったことを親が日々の生活のなかで示すこと。そういった弱さを含めたありのままの姿こそが、意図的な対応以上によい影響を与えるものだ、ということでしょう。

 ところで私は、この言葉をここで勝手に別の視点から解釈しようと思います。それは「親御さんがどの方向を見ているか」という視点です。

 「親の後ろ姿を見せる」ということで、本当に後ろ姿を見せている場面を想像してください。このとき親御さんは、わが子と同じ方向を向いていますよね。ということは、親御さんとお子さんが見ている方向も同じであるわけです。

 反対に「親の前姿を見せる」という場面を想像してみますと、このとき親御さんは、わが子と向かい合っていますよね。ということは、親御さんとお子さんが見ている方向は逆であるわけです。

一方通行か双方向か

 ・・・当たり前すぎてバカバカしいですよね。失礼しました。

 しかし、私は決して言葉遊びをしてふざけているのではありません。

 不登校/ひきこもり状態にある人の親御さんの多くは「何とかしなければ」というまなざしを本人に向けています。

 これは、親御さんが本人と正対している(たとえるなら相僕の仕切りをしている)ような姿勢です。「わが子がとんでもない方向に進んでいるから止めなければ」と、本人に関心を集中しているわけです。

 そのため、本人とのやりとりの多くは「親→本人」という一方通行の言動――「対応としての会話」「対応としての行動」――になっています。

 反対に「親の後ろ姿を見せる」という姿勢の親御さんは「何とかしなければ」というまなざしを本人に向けていません。

 これは、親御さんが本人をときどき振り返って「自分の後ろを歩んでいる」と確認しながら歩んでいる(たとえるならマラソンをしている)ような姿勢です。「人生という道を、自分もわが子も同じ方向に進んでいる」と、ご自分にも本人にも同じように関心を向けているわけです。

 そのため、本人とのやりとりの多くは、双方向の言動――「日常会話」「日常的行動」――になっています。

                           <後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。