〔周囲の助言、ウソとホント(3)〕「第三者が介入すべきです」(前編)
※今月は、先月開催した「不登校・ひきこもりセミナー2020」第1部の写真を掲載しています。
※2002年10月に創刊し、掲載文が200本を超えたメールマガジ(メルマガ)『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本(予定)の掲載文を、毎週1本ずつ転載しています(歳月の経過を踏まえ、字句や一文、一段落など小幅な修正をしている場合があります)。
※前々回から、先月最後に転載した文章の趣旨を受ける形で始めた「周囲が親御さんによくやる助言を3つ取り上げ、その正しさと限界を考える3回シリーズ」を転載しています。今回は第3回です。
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叫ばれる「介入」の必要性
小中学生の不登校は14万人、15歳以上のひきこもりは115万人と言われていますが、家族以外の第三者による関わり(相談を含めた支援)を利
用しない本人や親御さんが、多数にのぼると推測されています。
「家族が本人を抱え込んでしまっている」というわけです。
そして、そのような閉鎖的な家族状況が、不登校/ひきこもり状態の長期化・深刻化を招いているとして、カウンセラーや精神科医などの専門家、および行政や民間の支援機関の関係者のうち、何割かが口を揃えて、この言葉を親御さんに呼びかけています。
すなわち、不登校やひきこもりは、本人や家族だけの努力で解決するのは難しいので、第三者が家族を指導したり、家庭に入って本人に直接働きかけたりするべきだ、というわけです。
この言葉の検討に入る前に、言葉の定義をしておきます(これは当メルマガでの定義であることをあらかじめお断りしておきます)。
と言うのも、前述のような意味で「介入」という言葉を使うなら、その意味を限定的に捉えなければ正確に考えることができないからです。
「介入」と「関与」の違い
第一に、不登校/ひきこもり状態のことで第三者が、本人、家族、周囲の
人、あるいは学校などの関係機関に関わることを「関与」と呼びます。
第二に「関与」のうち、次のふたつの方法を「介入」と呼びます。
1.カウンセラーや精神科医などの専門家が、親御さんや本人に指示を与えて動かしたり、本人を治療したりすること。
親御さんや本人を、プログラミングした手順に従って行動させる、あるいは、対応策を逐一指示するようなやり方です。カウンセリングにおける家族療法や行動療法など、精神医療における投薬や入院なども、これに含まれます。
2.家庭訪問などで直接本人に関わること。
「メンタルフレンド」など呼称はさまざまですが、本人の生活のなかに他人と接する時間が生まれる、という変化を起こします。また、ご近所・ご親戚・ご友人などが本人とつきあうことも含まれます。
それ以外の関わりは「介入でない関与」ということになりますが、ここでは便宜上、単に「関与」と呼びます。
第三者の関与は必要
さて、不登校/ひきこもり状態の場合、第三者の介入はおろか、関与もま
ったく受けずに抜け出す人もいます。家族の対応が適切か、本人が自力で立ち上がるかの、どちらかの場合です。
私のひきこもり時代も、私も両親も誰にも相談しませんでしたが、自分ひとりでひきこもり状態を終えたわけです。
それでも私は、第三者が関与することじたいには、基本的に賛成です(そうでなければ相談機関をやっているはずがありませんし)。
それも、専門的な関与でなくても、話を聴くだけ、友だちづきあいするだけでもいいというのが、私の考えです。
ですから、私が言う第三者とは、支援機関や親の会など“その分野”の人々に限りません。ご近所・ご親戚・ご友人、といった人の協力によって本人や親御さんが元気になった、という話は珍しくありません。
130号(9月29日に転載)で述べたように、不登校/ひきこもり状態の本人や親御さんの多くは「日々苦しい思いに耐えながら過ごして」いて「気持ちに余裕はなく、したがって状況を変える力を発揮することは難しい」わけです。
したがって、本人やご家族以外の第三者が関与することによって、本人やご家族が「楽になり、気持ちに余裕ができて、状況を変える力が発揮できるようになる」という効果が期待できるのです。
それでは、第三者が介入することは、もっと効果的なのでしょうか。
<後編に続く>
不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。