見出し画像

自然なコミュニケーションを(後編)

悪い意味での特別扱い

 当スタジオの相談や家族会のなかでも「どう話しかけたらいいかわからない」「話しかけたりやったりしたことで本人の状態が悪化するのが怖い」などという親御さんの発言がしばしば聞かれます。
 また「本人の意思を尊重して見守っている/いた」とおっしゃる親御さんもよくいらっしゃいます。

 このふたつのお考えに共通しているのは「不登校/ひきこもり」という“理解不能な状態”に戸惑い、その結果“安全運転で日々を過ごすこと”で精一杯、というお気持ちなのではないでしょうか。

 しかも、そういう親御さんにとって「本人の意思を尊重しましょう」「見守っていればいつか自分で動き出します」などといった相談員の助言、専門家の講演や著書での記述は“渡りに船”であり、自分の気持ちにお墨付きを与えられたような感じなのではないでしょうか。

 もちろん、相談員や専門家の言葉足らずな点は反省されなければなりません。そのうえで、前述した親御さんのお気持ちは、本人を「不登校/ひきこもり状態の誰々」と認識し、特別な対応が必要だと信じていらっしゃることを示しているのだと、あえて申し上げたいのです。

求めているのは自然な交流

 前回お話ししたように、親御さんはわが子の「不登校/ひきこもり状態」に焦点を当てて対応を考えがちです。だから失敗して状態が悪化するのを恐れて腫れ物にさわるような態度になってしまう方や、そのことを「本人の意思を尊重して見守っているのだ」とご自身を納得させている方がいらっしゃるのではないでしょうか。

 しかし、本人の多くが親に望んでいるのは、自分を「不登校/ひきこもり状態の誰々」としてではなく「家族の一員である誰々」または「同じ人間としての誰々」として接してくれることのようです。

 したがって、コミュニケーションのあり方も「親子ならではの自然で人間的な感情の交流」を求めているのだと思われるのです。

 たとえば「考えていることを話してくれない」「自分の言動に反応してくれない」「自分への相談なしに方針が決まっていた」などという、不自然で自分を尊重しない親の態度や行動を見せられた本人は「普通に接してくれない」「感情の交流を拒否された」といった屈辱感や疎外感を抱いて、怒りや戸惑いにとらわれてしまうのではないでしょうか。

 確かに、不登校/ひきこもり状態には「家庭訪問を恐れる」など特有の心理メカニズムがあり、それに合った対応やコミュニケーションの工夫が必要であることは、繰り返しお伝えしているとおりです。

 ただ、それがすべてではありません。何度もお伝えしてきたように、特に親をはじめとする家族の対応は「他愛のないおしゃべりや用件の話をする」「本人の心身の健康や生活に絞って心配な部分を伝える」「楽しいことを一緒にやる」などといった自然なコミュニケーションや行動を可能な範囲で続けながら可能でない部分を工夫する、ということが基本なのです。

 次号では、その判断基準として活用できる考え方を提案します。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第217号(2016年4月7日)

====================

※前回の「本人主体と過保護はどう違うか」に続き、今回は「放任するかどうかではなく自然な言動であるかどうか」を書いた文章を転載しました。本人との接し方にお迷いのご家族が、この2本を参考していただければ幸いです。

※このメルマガバックナンバー掲載文、拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』に収録した約50本はほとんど転載していませんので、ご関心の方は同著を入手してご一読ください。

※このような文章を3号ごとに掲載しているメルマガ『ごかいの部屋』を読みたくなられた方は、こちらの配信サイトのページで読者登録をお願いいたします。今月号も先月号に引き続き「ヒューマン・スタジオ設立20周年記念イベント」関連の記事が中心です。

※講師等で登壇するイベントが集中している今月後半、その3か所目となる21日(日)、千葉県内のひきこもり家族会例会で講演いたします。本来会員のみのクローズが原則ですので、ご参加は ↓ の公式ブログ記事をお読みくださった千葉県在住のご家族にかぎらせていただきます。そのほか詳細は記事でご確認ください。


不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。