閉じこもって迎える誕生日の味(後編)
ほかの経験者の年齢への思い
このように、ひきこもり状態の人のなかには、自分の年齢に影響されて動
き出す人もいるようです。
ある経験者は「人生のターニングポイントを25歳とイメージしていて、それを過ぎると次のポイントは10年くらい先まで来ない、と恐れていた」と語り、またある経験者は「30歳を節目とイメージしていた」と語ります。
私とその人たちには「ターニングポイント(節目)」とイメージしていた年齢までは、自分の力で立ち上がろうともがいていたが、その年齢になっ
た(近づいた)とき、もはや不可能だと観念した、という点が共通しています。
それぞれのルートで “底つき” までいった、というわけです。
その結果、私は自然のままに生きることを決断し、その人たちは支援(相談や居場所)を利用することを決断しました。
「20代のうちは闘っているが、30代になるとあきらめて動き出す」とは、私が人づてに聞いた、あるベテラン支援者の説です。
年齢がひきこもり状態の人に与える影響の大きさがうかがわれます。
「生まれてきてありがとう」の気持ちを
要するに、不登校/ひきこもり状態の人にとって誕生日は「○歳の1年間を棒に振った」という無念さを呼び起こし、それを生涯忘れえぬ後悔の年齢として記憶されることがあるわけです。
なかでもひきこもり状態の人は、ちょうど24節気が記載されたカレンダ
ーのように「○歳はこういう年齢」というイメージを持っていて、誕生日が来るたびに、耐えがたい後悔の気持ちに苦しみながら “人生カレンダー” をめくっていることでしょう。
でも反対に、誕生日を迎えたことを喜んで、家族と明るく誕生パーティーができるような状態であれば安心です。
いずれにしろ、ご家族としては、可能であれば何らかのかたちで本人の誕生日を祝福したいものです。「生まれてきたこと」「生きていること」への喜びを本人に伝える、またとない機会なのですから。
初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第139号(2007年3月7日)
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※私はおとといが誕生日でした。そこで、一連の流れで書いていた記事の転載が終わったこのタイミングで、自分の誕生日当日に書いた記事を転載しました。自身の体験談を中心に語った数少ない文章のひとつです。
※このメルマガバックナンバー掲載文、前編でふれた体験記の部分をはじめ拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』に収録した約50本はほとんど転載していませんので、ご関心の方は同著を入手してご一読ください。
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※先日、私のコメントが載ったweb記事が公開されました。ライターの方のご質問に「不登校/ひきこもり状態の人には妊娠している人のように対応する」という持論を答えるべきところ「病人のように対応する」と、たとえを間違えるミスを犯していますが、基本的な理解と対応について答えていますので、特におとなのひきこもり状態をよくご存じない方にお勧めの記事です。ご関心の方は ↓ の公式ブログ記事をご覧のうえ、末尾にリンクした当該記事をご一読ください。