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当事者経験者の多様性(後編)

百家争鳴の当事者経験者

 具体例を挙げると、拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』の終章に収録した149号の本欄で私は、あるひきこもり経験者の「長引かないよう早く引き出すべきだ」という、自分と反対の支援論にもとづく発言を取り上げました。
 支援を受けずにひきこもり状態が終わった私と、支援を受けなかったことでひきこもり状態が無駄に長引いたと感じている方との違いです。

 また、単行本『名前のない生きづらさ』で共著者の野田彩花氏は、不登校経験について「必然だった」と「不当に奪われた」という言葉で、自分とほかの経験者の違いを表現しています。
 自分の人生を振り返って「不登校は必然だった」と感じている(私もです)野田氏と「いじめられたせいで不登校に追い込まれたことが受け入れられない」と感じている方との違いです。

 このように、不登校/ひきこもり体験への捉え方や対応/支援のあり方についての当事者経験者の発言や文章は多種多様です。近年盛んになってきた当事者経験者中心の活動を全国に広げる試みが始まっていることや、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の普及などで、つながりやすく発言しやすい時代になった成果でしょう。

 ただ、私は次のような点に注意が必要と考えています。

両極端な議論や断言の危険性

 第一に、不登校/ひきこもり状態について「良いvs悪い」「肯定vs否定」などと両サイドに分かれて争う構図を作らないようにすること。
 第二に「結論ありき」の断定調、言い換えれば確信に満ちた言説は、本人や親御さんの心に届かないことがある、ということです。

 今でこそ前述のように「不登校は不幸じゃない」とか「ひきこもりを肯定すべき」などと主張する当事者経験者の多くも、不登校/ひきこもり状態の渦中にあったときは自己否定し、迷いや葛藤のなかにあったはずです。ところが、その末に到達した持論を展開する際に「不登校/ひきこもりは〇〇だ/じゃない」などと断言したり「親御さんは〇〇して/しないで」などと、寸分の迷いも感じさせず、一点の曇りもない話し方や書き方をする人がいます。

 これが、現在まさに自己否定している本人、迷いや葛藤のなかにある本人や親御さんに「自分/わが子とは違う」といった非現実的な印象を与え「経験者の話は参考にならない」と思わせかねないわけです。

 なお、このことは親御さんの場合も同様で、本人の気持ちを知ろうとせずに「学校に行かなくていい/就職しなくていい」などと結論づけることが、かえって本人の反発を招くことになりかねません。

 そこで次回は、拙著の序章に収録したメルマガ176号に書いた「願い」と「思い」の話を取り上げます。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第231号(2018年8月22日)

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※40~64歳のひきこもり人口が推計61万人という調査結果とひきこもりに関連した事件の続発によって、ひきこもり当事者活動がクローズアップされた2019年の前年に書いた文章です。今や不登校もひきこもりも当事者活動は私を含め多くの当事者経験者がたずさわっていますが、その課題はここに書いたこと以上に複雑多岐にわたるようになっています。「ひきこもり人権宣言」も、2年もの紆余曲折の末発表にこぎつけたのでした。

※このメルマガバックナンバー掲載文、文中で挙げた149号や176号を含め拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』に収録した約50本はほとんど転載していませんので、ご関心の方は同著を入手してご一読ください。

※この文章でメルマガ『ごかいの部屋』を読みたくなられた方は、こちらの配信サイトのページで読者登録をお願いいたします。同メルマガの内容は3号周期になっており、次にこのような文章が載るのは3月号です。

※先々週お知らせした家族会「しゃべるの会」ですが、先週土曜日に「不登校編」が開催され、今週土曜日に「ひきこもり編」が開催されます。そこで「不登校編」の前日に公式ブログに掲載した記事をリンクしますので「ひきこもり編」について書いた部分をご一読のうえ、ひきこもり状態のおとながいるご家族のご参加またはご紹介をお願いいたします。


不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。