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受援力を上げるには(後編)

支援側から見た「受援力」

 話は変わりますが「受援力」という言葉をご存知でしょうか。

 もともとは東日本大震災を機に広まった「行政や地域がボランティアを受け入れる能力」を指す言葉でしたが、これをある産婦人科医が子育ての能力のひとつとして提唱し、それを日本学術会議の社会学委員会社会福祉学分科会が「助けを求める力」という意味で去年の提言に採り入れたものです。

 このときには福祉関係者から批判の声が上がりましたし、私も非常に反発を覚えました。
 そもそも「精神力」「人間力」などでもわかるように「〇〇力」というのは基準のあいまいな評価の言葉であり、人に使えば行動を表面的に見ただけで「受援力が低い」などと恣意的に評価できてしまいます。

 しかし不登校/ひきこもり状態をめぐっては、周囲の人や支援関係者が本人や親御さんの受援力を下げてしまう実例があとを絶たないのです。

 本人が “心の岩盤”(メルマガ235号=2月23日に転載)に阻まれていたり、親御さんが相談に行って否定や批判の言葉を返されたりといった、相談しづらくなる状況や場面があるわけです。私がひきこもり時代に誰にも相談しなかったのも、相談して良かったと思える経験がなかったからです。

 メルマガ236号の「当方見聞読」欄で私は、不登校やひきこもりをめぐる前述の流れのなかで「相談してください」「助けを求めるのは恥じゃない」という呼びかけが浸透するにつれ、私は「相談したけどダメだった」と失望する人が増えるのではという懸念を抱いている、と書きました。

本人から見た「受援力」

 他方、この「受援力」を本人の視点から見事に意味転換をした人がいます。私の知り合いであり、不登校状態からひきこもり状態にいたった当事者の喜久井ヤシン氏です。

 氏は、自分にとって「受援力」とは「自分が孤立している状態のときに、自ら誰かに会おうとする意欲を生じさせるものであるし、そもそも誰かを信じられることそのものにあたる。自分が苦しいということを感じ、そして信頼できる誰かにめぐりあえたなら、その時に自分が、社会的なものの方に向かって助けられてもかまわない、と判断するだけの期待感」であるとし、自分の受援力が上下する周囲の対応や関係者の支援のあり方を具体的に説明しています(末尾のリンク参照)。

 前述のように、支援側が「当事者や家族に上げさせるには」と考える際の「受援力」に反発を覚える私も、当事者が「こうしてくれれば上がります」と伝える際の「受援力」には共感するばかりです。

 7年前に配信した215号(去年11月3日に転載)で「早期発見早期対応」という支援側の言葉を当事者側の言葉に意味転換することを提唱しましたが、それと同じものを氏の文章から感じたしだいです。

 前半で述べた「経験者に会う」という行動や、ご家族が最も期待なさっている「支援を受ける」という行動は、本人が「助けられてもかまわない、と判断できるだけの期待感」を持てるようになって初めて実現可能になるのだということを、しっかり認識しておきたいものです。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第239号(2019年12月19日)

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※1月26日に転載した『当事者経験者の多様性』とも重なる当事者の複雑な心情を書いた前半と、タイトルどおりの内容を書いた後半を、そのまま前編と後編に配しました。

※前編に関連して言えば、今年は厚労省が開設したひきこもりのサイトや初開催したオンラインイベント、さらには自民党の「ひきこもり支援推進議員連盟」の総会、と当事者経験者が次々に登場。 “上のほう” が一部の個人や団体に限定して聴いていた去年までより、登場する当事者経験者が増えています。

※このメルマガバックナンバー掲載文、前編でふれた体験記の部分をはじめ拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』に収録した約50本はほとんど転載していませんので、ご関心の方は同著を入手してご一読ください。

※この文章でメルマガ『ごかいの部屋』を読みたくなられた方は、こちらの配信サイトのページで読者登録をお願いいたします。今月号は今回のような文章を掲載する順番です。

※来たる4月9日(土)、家族会「しゃべるの会・不登校編」を会場とZOOMの併用で開催します。不登校生または中退生のご家族は ↓ の公式ブログ記事をご覧のうえ、よろしければご参加またはご紹介をお願いいたします。


不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。