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対応する側の論理(後編)

本人の意思にどう対応するか

 さて、上記二点の違いから「本人の意思に沿おうとする」のか「本人の意思をくじこうとする」のかという、対応の基本方針の違いが自ずと導き出されます。

 「しばらく休んでいたい」「家族以外の人と会いたくない」「授業には出られないけど行事には出たい」「進級できなくても退学したくない」「仕事するのは無理だけど家事ならできる」等々、不登校/ひきこもり状態の人たちが表明する意思はさまざまです。それらをどう解釈するかで、対応の基本方針が違ってくるわけです。

 まず、不登校/ひきこもり状態を「生きざま」と捉えれば、本人の意思は
「せめてもの願い」や「必死な気持ちの表れ」だと解釈できます。
 また、今の本人を直視しているかぎり、本人の意思を軽く扱わずに、きちんと受け止めようという姿勢になります。

 このように本人の意思を受け取っていれば、当然「本人の意思を認め、その実現に協力する」という基本方針になるはずです。

 逆に、不登校/ひきこもり状態を「異常」「病理」「悪事」「甘え・ひ弱」などと捉えれば、本人の意思はそれらの要因から出たもの、と解釈でき
ます。たとえば「病理」と捉えている人は「症状のひとつ」と、「悪事」と捉えている人は「悪だくみ」とか「わがまま」と、「甘え・ひ弱」と捉えている人は「逃げ口上」というふうに、本人の意思を解釈するわけです。

 また、本来あるべきレベルから逆算して本人を見おろしているかぎり、本人の意思を軽く扱い、相手にしないという姿勢になります。

 このように本人の意思を受け取っていれば、当然「本人の意思を認めてはいけない」という基本方針になるはずです。

私を取り巻く人々の基本方針

 以上の観点から私の不登校時代を振り返ると、私の不登校を、両親は「悪事」と、ほかの人は「甘え・ひ弱」と、カウンセラーは「病理」と、それぞれ捉えて対応していたことがわかります。

 そのため、やってほしくない対応も少なくなかったのですが、その一方で担任の先生は、学年末のたびに「退学したくない」という私の意思を尊重して対応してくれたわけです。

 反面カウンセラーは「本人の意思を認めてはいけない」という方針だったわけです。

 周囲の人はさまざま、対応もさまざまですね。次回は、精神医療や支援団体などを利用するという「対応」へと話を進めます。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第149号(2008年1月9日)

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※本稿は不登校/ひきこもり状態への捉え方と対応の方針を比較したものです。書いてから12年経った現在も、家族や関係者といった周囲の方々が自他の理解度や姿勢を測る基準として役立てていただける内容と自負しています。

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