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ひきこもりの<ゴール>とは(後編)

本人は“問い”を抱えている

 著者の石川良子氏は、私が運営している「ヒューマン・スタジオ」が15年前に開催したイベント「青少年支援セミナー2006春夏」の特別分科会「“ニートブーム”を疑え!」で発題者(話し手)をつとめるとともに、その前にメルマガ121号に発題の骨子を寄稿くださっています。

 字数の都合で、今回のテーマに合ったところだけをつなぎ合わせるような紹介の仕方しかできないのが残念ですが、本書で氏は、ひきこもり支援のなかで「“対人関係の獲得”や“就労の達成”といった外面的なところを何より重視する支援観を「<社会参加>路線」と呼び、それが「徹底される過程で削ぎ落とされていった内面的な問題」を、経験者への聴き取りを通じて探求し、次のように解き明かしています。

 ひきこもりを続けることに対して「忍耐力の欠如や精神的な弱さのためだと周囲から責められ、それと同じように自分を責め続けるうちに、当事者は自分の存在価値を根本から疑い、生きること自体を問わずにはいられなくなる」ということ。

 そのため、彼/彼女らは「生きるとは、働くとは、自分とは」という“問い”を抱えていて、それに自分なりの“答え”を得るための内的作業をせざるを得ない、ということ。

 このプロセスの指摘は具体的で、当事者・経験者にはなかなか自覚できないところです。私も「7年間のうち後半の3年間悩み考えていたことは、そういうことだったな」と、読んで初めて気づいたほどです。

ゴールは「存在論的安心の確保」

 さて、本人たちはもともと“対人関係の獲得”や“就労の達成”を自ら望んでおり、そのための試行錯誤を繰り返しているわけですが、氏はそれと並行して前述の内的作業――「問う」という営み――を続けることで「生きることへの覚悟、生きることや働くことの意味といったものを手にすること」すなわち「存在論的安心の確保」に到達する、と説きます。

 これが氏のイメージする「ひきこもり状態からの回復」なのです。

 したがって、ひきこもりの回復の指標として多くの専門家(特に相談関係者)がイメージしている「対人関係の獲得」だけでは、本人の苦しみはなくならないし、多くの自治体や支援団体が試みている「就労支援」も前述の内的作業の機会を奪うことになりかねない、と氏は警告しているのです。

 私も、勉強会などで何人ものひきこもり経験者に出会っています。ということは、その人たちは勉強会や自助グループなどの「社会」には参加できているわけです。アルバイトをしている人も少なくありません。
 しかしその多くは、仕事が「長続きしなかったり」、心に「常に苦しさを抱えていたり」(前々回)しているのです。

 それに対して本書が重視しているのは、前々号でお話しした表現を使えば「決まっているゴールに一直線に到達するプロセスではなく、自分でゴールを探しながら歩くプロセス」ではないか、つまりゴールは人それぞれが「自分の人生はこんなものかな」と自己納得できる境地なのではないか、と私は本書を読みながら感じたのでした。

 そういうプロセスのなかで、本人が対人関係を獲得したり就労したりしたくなってから受ける支援であれば、納得のいく展開になるのではないでしょうか。

 本書にはまだまだ含蓄のある指摘や共感した部分がたくさんあります。あとはぜひ実際にお読みいただきたいと思います。

初出:メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第153号(2008年5月14日)

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※このメルマガの初期からの愛読者であり、私にとって林恭子さんや勝山実さんとともに20年近いつきあいの石川良子さん。彼女をひきこもり研究の第一人者に押し上げた名著を紹介しながら「ひきこもりの回復像」を論じた文章です。奇しくも私は「回復」をテーマのひとつとした先日のオンラインイベントで自身の回復イメージを含む講演をしました。

※今回の文章とは逆に、石川さんが私の『不登校・ひきこもりが終わるとき』から一部を紹介しながら持論を展開しているのが、雑誌『教育と医学』2020年3・4月号のひきこもり特集に寄稿なさった『ままならなさと共に生きる』です。ご関心の方は↓の案内ページをご覧ください。

※その拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』に収録した約50本は、noteにほとんど転載しませんので、ご関心をお持ちの方は同著を入手してご一読ください。

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