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〔自身の体験から④〕ひきこもり:支援しなければならないか(前編)

※2002年10月に創刊し、掲載文が200本を超えたメールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本(予定)の掲載文を、毎週1本ずつ転載しています(字句や一文など小幅な修正をしている場合があります)。

※今月は、筆者である私自身の不登校とひきこもりの体験に関して書いた文章を転載しています。前回と今回は、ひきこもり体験に関連した内容です。

※私のひきこもり時代は、1990年代のなかの7年間。閉じこもっていた2年間から、ある学習会や不登校イベントに参加するようになり、今でいう当事者活動の模索から就職活動へ。うまくいかず絶望のどん底に落ちたことでエネルギーが回復し(底つき体験)、動き出して現在に至ります。

※前回と今回は、決めたテーマに沿ってひきこもり体験を箇条書きで振り返り、執筆時点で気づいていたことをまとめたものを転載します。今回は、ひきこもり状態にある人のための居場所がなかった1990年代の話であることを念頭に置いてお読みください。

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不登校時代と真逆だった周囲との関係

◎ 不登校になる前の私は、消極的で自ら友人を求めることもないほど、人間関係を軽視する尊大な子どもだった。ところが、不登校になってからたまに登校したとき、クラスメートや担任の先生がじつに温かく気づかってくれたことにショックを受け、私は生まれて初めて、友情や人間関係の素晴らしさや大切さに気づいたのだった。

◎ 私にとって高校での不登校時代は、同級生の友情や先生方の愛情と、自分が経験したことや考えたことが相まって、人生を積極的に生きるためのエネルギーになり、それが心の中で徐々に育まれていた時間だった。

◎ ひきこもり時代、私は自宅に1日じゅう閉じこもっていても両親は何の対応もせず、また私が両親の言動を追及してもまともに取り合わず、しかも誰にも相談することもなかった。

◎ 私自身も、不登校時代にカウンセラーにかかり、大学時代に人に相談した(助けを求めた)結果が、いずれも悪かったことで「人に相談してもロクなことはない」と確信していたため、誰にも相談することなく、7年という歳月がたってしまった。

◎ 当時の私は、スクールソーシャルワーク学習会に毎月通っていたが、苦しみが強くなってから顔を出せなくなった。そんな私を仲間たちは気にはしていたと思うが、だからといって私に連絡をとってきたり、私を助けようとしたりしたことはなかった。でも、ひきこもりを終えた私が約2年ぶりに仲間の中に入っていったとき、仲間たちは何事もなかったかのように、以前と変わらない態度で接してくれた。

◎ 不登校のときは、前述のように多くの人に直接支えられたうえ、学校復帰をめざしてもがくのをやめたことで終止符を打ったわけだが、ひきこもりのときは、誰にも支援されないまま自分ひとりで終止符を打ったわけである。

                           <後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。