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削る
私の家には壁に二つ色が変わった箇所がある。一つは私の部屋で、もう一つは階段の折り返しの部分だ。二つとも私が開けた穴を母親が隠そうとした名残である。
一つ目は私の勉強机の隣にあり、高2の12月頃に開けたものだ。今思い返すと当時は部活と勉強と課外活動ですごく忙しかった覚えがある。ふと教材から顔を上げると目の前に彫刻刀があり、なんとなく壁を削ってみようと思った。刃は意外とすんなり入り、白い壁はチョークの粉のようになって床にパラパラと落ちていく。しばらくすると、硬い素材にぶち当たるので定規等を用いてその穴を広げてゆく。そうこうしている内に先の見えない縦型の真っ暗な穴が完成し、私は削る音を不審に思った親が部屋に入ってくるまで、無心でその穴を眺めていた。
二つ目はそれから2ヶ月くらいして開けたものである。あの日は食卓で進路に関してのことだっただろうか、父と口論をしていた記憶がある。それ以上その場にいたくなかった私は、席を立ち父親のスマホを手に取って階段の方に向かって投げつけた。スマホは勢いよく飛び、階段の折り返しの部分の壁にぶつかって、鈍い音をしてその場に落ちた。その後には削られたのか小さい黒い空洞が空いている。穴というのは案外簡単に開くものなのだなと感じた。
私はメンタルが削られたから、何かを削るのではない。メンタルが削られたくないから何かを削るのである。
実際に何かを削らなくても、何かを破壊する想像をすると少し気が楽になる。電車に乗り込む時、もし今電車とホームの間にスマホを落としたらとしばしば考える。親や友人と喧嘩をした時は、夜の街中を歩きながら自分が事故で死んだら皆どう思うだろうかと考えているうちに、気分良くなってくる。ベランダに半分身を乗り出したこともある。別に死ぬ気はないけれどそうした方が落ち着くのだ。
何かを削るということは保存するのである。ものを削る、身を削る、心を削る、、、何かを削ることを代償にして、私たちは本当に大切な何かを削らずに済んでいるのだと思った。
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