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【短編小説】牛丼は箸で食べたい。

服が濡れてしまった。
さっきまではすっかり晴れていたのに、
急に曇り出したかと思えば、川そのものをひっくり返したかのように水が降ってきた。

『あ〜…寒いしお腹すいたな』

このままでは風邪をひいてしまう。
そんな悪い予感を感じながら歩いていると、1つポツンと佇む牛丼屋が目に入った。

周りには1つも建物がなく、明らかに不自然な牛丼屋が、そこにはあった。

店内に入ると、1人の女性店員と目が合った。

『……いらっしゃいませ。…お一人ですか?』

『はい』

『そうですか、お好きな席どうぞ』

……なんだろう。目が合った瞬間、変な間があった気がする。臭かったかな?

確かに猛暑の中、長い間歩いていた気がする。なんだか記憶がぼんやりしてしまう、それくらいの猛暑だった。

タッチパネルからいつも通り、牛丼の並盛りを単品で注文した。軽快な音と共にオーダーが入る。

自分の他に誰も客はいない。

「お待たせしました」

牛丼1つ。提供の速さに少し驚きつつ、会釈しながら受け取った。

これだよこれ。ふかふかのご飯に、汁だくの牛肉。さぁ食べようと心を躍らせていたが…

…おかしい、商品を受け取ったのにも関わらず女性店員が側で立ち尽くしている。

恐る恐る顔を挙げると、彼女はとても悲しそうで、苦しそうな表情をしている。今にも泣き出しそうな顔。

「え…?」

思わず声が溢れた。頭が混乱している。
何か、嫌がるようなことをしてしまっただろうか…?

「…あの…大丈夫ですか?」

今にも泣き出しそうな店員は、テーブルにある紙ナプキンで鼻をかんでから、改めてこちらに向きなった。なんだか懐かしい光景だ。

彼女と目が合う。そして、彼女から発せられた言葉に目を見開いた。

「なんで、ついてきちゃったの」

その一言を聞いて、心がじわじわと冷えていくのを、感じた。
心だけじゃない。
冷たい身体。
青白い肌。
泥だらけの服。
腕の無数の切り傷と痣。

あぁ、そっか。これ、牛丼どころではない。

俺は、彼女を愛していた。彼女の存在こそが、俺の人生だったのだと思う。自分はどこまでも利他的な人間だ。

しかし、彼女が亡くなり、勿論それだけが原因じゃなかったけど。何とか繋ぎ止めてた糸がプツンと切れた。

そんな感じで、どうしようもなく、全力で、こんな意味の分からない牛丼屋まで追いかけてしまったわけである。

そして追いかけて来たが故に、最愛の人にこんな悲壮な表情をさせている。相変わらず、自己嫌悪が止まらないが、何とか口を開いた。

「久しぶりだね」

彼女の涙腺がとうとう崩壊し、大粒の涙が溢しながら頷く。

ふと牛丼に目を戻すと、量が減っている。

…なるほど。牛丼が無くなるまでがタイムリミットみたいだ。

それからは彼女と他愛もない話を交わした。
会うのは久しぶりだったけど、そのブランクを感じさせないほどの会話のテンポ、安心感だった。

どうやって死んだか聞かれたけど、流石に宙返りしながら川に飛び込んだなんて言えるはずも無かった。

どうせ最後だし〜、とか思って着水までに何回転出来るか試したかった。

それに、君に会うために溺死しました〜なんて言ったら、優しい彼女はまた泣いてしまうだろう。

そんなこんなで、上手に誤魔化しながら彼女との最後のひと時を楽しんだ。

それにしても牛丼の減るスピードが速い。
絶対にスプーンで食べている。
箸だったら、米粒1つ残さず食べればそれなりの時間になるのに。

きっと、走馬灯というやつだろう。
生きている時は、こんな世界滅んでしまえ〜!なんて考えてしまうくらいだったけど。
最後にこんなサービスタイムを設けてくれるのなら、とても親切な世界だと思った。

生きている時から親切にしてほしかったな、なんて思いは飲み込んだ。

牛丼が殻になる。

「なくなっちゃったね」

「うん」

「最後にあえてよかった」

彼女はまた、泣きそうになるのを堪えながら無言で頷いた。

お会計を済ませる。

彼女の手をとって、お店を出た。

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