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デッサンについて考えてみました。

「デッサンについて考えてみました。」

さて、今日もアートのことについて考えてみようと思います。アートといってもそれは壮大なテーマでありますが、とくに絵画について考えてみたいと思います。

絵画、絵画の基本はデッサンだと思われています。それはなぜかというと、デッサンはモチーフを見て画用紙に転写するのがその効用としてあるかもしれません。そこで画家の腕の見せ所ではないでしょうか。

ちなみに僕はデッサンがあまり上手な方ではありません。

デッサンの修練はけっこう苦しいものです。ピアニストが毎日に鍵盤を叩くように、デッサンも線でものを描写します。一瞬の美をとらえて画用紙に線で描いていきます。

それはそのモチーフどおりに写実的でないかもしれません。いくらか抽象化されていることもあります。

あと、イメージにある画像を画用紙に描いて転写するのもまたそれもデッサンと言えましょう。

そんなこともあって、そのまま見たものを描くとは限りません。見えない世界を描くこともデッサンであります。

リンゴやフルーツを描く人もいます。それはけっこう古いスタイルでありますが、こういう古典的な絵もわかりやすいために売れることがあります。

いわゆる常識的なモチーフがあります。それはよく売れると思います。

しかし、それはお土産品の絵でしかないこともあります。常識的すぎて見やすいのですが、アートかどうかはわかりません。

アートは芸術家による価値観も創造であります。デッサンはそういう意味で生の線がアートとしてひいたり描いたりして、クリエイトしている現場であり、思考のあとが残っていきます。それくらい生々しい美術作品であると思います。

ハートから出てくる線でないと絵画に命が入らないこともあります。そこは機械とは違ったものであるかもしれません。メカでなく、人間は神の似姿ゆえにその描くもの、創造するものは、まさに神の業をなしていると言えます。

芸術家とはクリエーターであり、神の創造をなすそのような作業を行うものであります。

0から1を生み出す、その思考の跡がデッサンであります。

となると、デッサンは必ずしも見て描くものなのか?見なくても描ける。形をとるための修練はこれは必要です。人物であったり風景画や静物、そういうのも描けるためにはいくらか訓練は必要なことはあります。

デッサンの修練は必要ですが、ある時、伸びなくなる時があります。デッサンはすごい集中力を使いますので、若い人が一番デッサンが上達する時期を享受していると言えます。

若さは傑作のデッサンを描くでしょう。デッサンはスタミナがかなり要るので、もし、これを読んでいる方が若い方であればガシガシデッサンしてみてください。

画用紙5000枚くらい描けばそこそこ絵が様になってくると思います。最初は誰もが上手でないかもしれませんが、何か見えてくる画境があるかもしれません。

2020年8月

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