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掌の上で何が悪い?40歳前に「人まかせ」で自分を動かせ!

「自分の意志を持つこと」「自分で決める事」
アーサー王物語の時代から、人はここに大きな価値をおいてきました。

物語においては、美女にかけられた魔法を解く鍵となるほどに、絶大な価値をです。

現代ともなれば、意志の重要性を否定する人はそうそう、いませんでしょう。私もそう思いますし、己の価値観ど真ん中でもあります。

人生の手綱を手放すくらいなら、乗っている馬ごと葬るほうがマシと考えるほどです。

とはいえ。43歳になって振り返り、思うのですよ。手綱は離すな。けれど片手はあけておいた方がいい。

そしてそれは、若いうちならなお良い。なんたって、勇気の素になる気力・体力がありますからね。

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どもども、Hum川(はむかわ)と申します。ぶっちゃけ、今人生の大転換を迎えているタイミングなんですけれど、やるべきこと横においといて、初めてのnote書いてます。

なんでかってと、こちらのポストを見たからです。

500文字くらいで十分だから、ばっちこいって仰っている。
書けない言い訳つぶしに来た。
ハードルを下げてくれている。

だから、今使い方を調べながら書いてみています。「人の提案に自分の脳みそを経由せず乗る」ことの良い結果を、この特に1年で体感しているからです。


私は38歳くらいの時、始めたことがあります。
「これまでの自分なら、選ばない選択肢をとる」ことです。

飲み物を選ぶような小さい事から少しずつ始めましたが、これが意外なほど楽しくて。

変化の乏しい日常に、よほど飽きていたのだと気づきました。

ここ1年は、「思い立ったら少しやってみる」くらいの気持ちを持つようになったのだから、驚きです。

あなたが今30代なら、40代を迎えるにあたって、不安はきっと多いですよね。仕事、健康、老後、お金、家族、介護、などなど。どんな事が不安ですか?

私は全部でした。

とりわけ、私を一番不安にさせたのは日常の虚しさでした。自分の内に駆動するものが何一つない事の虚しさです。

「自分の意志を持つこと」「自分で決める事」を大事にしすぎて、自らを平坦な自分の世界に最適化してしまった。

待っていたのは底なしの無気力と茫洋とした不安。

これに対しても順応するという悪循環を繰り返し、感動や驚きといった心の動きを鈍らせていきました。

ここから自力で抜けるのは非常に骨が折れます。
ってか無理ですね。
それなりに安定しているからです。

そのくせ自分の状態に変に冷静な部分もあり、
危機感は持っていました。
えーい!どーすれっちゅーの!

私にとっての解決策は、「これまでなら選ばない」を強化した、「選択肢自体を自分で考えるのをやめる」でした。
これが、だいたい41歳くらいの時です。


いい時代になりました。
SNSが身近にあって、ひと昔前ならすれ違いもしない世界にいつでもアクセスできる。

私が具体的に行ったのは、
いいなと思う掌を見つけたら、思い切って乗っちゃうことです。安心安全な場所であることは、必須条件ですよ。

そして、その上で自分なりにコロコロ転がってみるんです。
するとですね、まぁ思いもしない世界が連鎖的に広がっていくんですよ。いいも悪いも、詰め合わせギフト状態でやってきます。

程よい負荷を受けて心は強制的に動き出し、精神の駆動を確かに感じることができます。いわゆる、生き生きしている状態。
ほらほら、いい感じでしょ?

自分がひとりで選び取れる世界なんて、カスミソウの1輪よりまだ小さい。次に何をするか、他人におまかせしちゃいましょ。

続けるかやめるかは、その後で考えればいいってくらいの気軽さで。


40歳は大きな節目ですが、怖れるなかれ。不安や焦りを原動力にできる年齢でもあると思うのですよ。必要なのは、人とつながってみる勇気をもつだけ。

みなさんは、どう思います?


本日は以上です!
ではまたー。

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「自分で考えるのをやめて、掌を選んで乗ってみろ」

これを30代の自分に言ったら、
なんて答えるかしら。

「やりたきゃアンタがやればいい。私の人生は私が決める」

だよねーっ。それもまた良し!

一休み一休み。 何かの摸写がベースか忘れた一枚。