おばあさんの死

集中治療室を出てすぐ家族にメールした。
「おばあさん意識戻ってたよ。私のことわかってたよ」とメールすると
すぐ妹がかけつけたようだが、妹が面会に行ったときには昏睡状態だったとのこと。
そのあと、亡くなった。
私が話したあの二分間は本当に奇跡の時間だったと亡くなってから気が付いた。
失ったときに気づくとは、本当だったんだなあと感じながら
なんだかまだ信じられずにいた。
またいつものように退院するとばかり思っていたのに、もうこの世界にいない。
心がついていかない。

おばあさんのために介護の資格を学んでいるのに、おばあさんがいなくなったら私はこれからどうしたらいいのだろうと思わずつぶやいたら親戚のおばちゃんが
「これから社会に貢献していくのよ、大丈夫よ」と声をかけてくれた。
社会に貢献、、、
おばあさんに貢献したかった。

おばあさんの葬式が終わってもおばあさんともう会えない実感はなく
ただただ会えない時間が無情に過ぎていきとっても寂しかった。
もっともっとできることはあったのに、私何やってたんだろうなって
後悔ばかり。

それでも入院するまで、おばあさんが自宅で気持ちよく過ごせていたのは訪問介護員のおかげだった。
私は訪問介護員の方たちに本当に感謝している。
私は学校、両親は共働きのため、訪問介護員に入浴していただいていた。
どれだけありがたかったか。

私が落ち込むたびに「おまえは愛嬌だけはあるから何があっても大丈夫」といつも言ってくれたおばあさん。
その言葉を思い出すたびににっこり笑ってるおばあさんを思い出す。
そして、やってみようって気持ちにさせてくれる魔法の言葉。

おばあさんが亡くなってから学校を卒業して施設で働き始めたが、なじめなくて一年3か月で挫折して退職した。学校で学んだ技術全てが、現場では100のうちの5くらいしか発揮できず、わからないことだらけで完璧に自信を失った。
私は何を学んでいたのか。

ひきこもってから一年、おばあさんの魔法の言葉と訪問介護員に対する感謝の気持ちを思い出した。

そうだ、私も訪問介護員になりたい。
私が訪問介護員に感謝しているように、私も誰かの役に立ちたい。

ひきこもって1年1か月たって
私はついに家から一歩出ることができた。

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