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「障害」と「健常」の境とは

どうも梟です。

先日書いた「SNSN氏」の記事が好評だったので調子に乗ってもう一つ
今回も私が密かに尊敬している人をご紹介したいと思います。

北九州のめんたいこ送りマシーンと言えば

そう、この人「Fさん」ですね。
このFさんは現在おっさんでして、キタキュウマンの手下です。
余談はこの辺にして…この方もとあるアプリで知り合いました。
最初は「まともな方」かと思ったのですが、
色々関わる内に考えが変わりました。

「この人は何を言ってるんだ…」ってね。

そう、この「Fさん」思考の言語化があまり得意ではない。

色々な事に興味を持ち、色々な事を考えているが、
それを文章なり言葉なりで発信した際「何を言っているか分からない」のだ

それでも彼は日々思考を止めることなく、発信も続けている。
上の話を聞いた限りでは「じゃあ、F氏は頭悪いの?」と感じてしまう人もいるかもしれないがそれは違う。
彼はあくまでも「言語化」が苦手なだけで、実は考え方は結構鋭いのだ。
実際に、一つの事象に対して彼の話を事細かに聞いたりすると
結構「なるほど」と思える話が聞けたりするものだ。
彼の趣味でもある競馬の話なんかは私も「なるほど」と感心して聞かせてもらった程だ。
つまり彼は「言語化能力」が向上すればなかなか博識であり、有能なコメンテーター的存在になりえる人物なのである。
私はその辺りを残念に思うが、意外と彼はデキる男なのである。

彼には一つの特徴がある。

彼を語る上で、いわゆる「障害」という特徴がある。
理由は忘れたが半身に麻痺を持っており、人より幾分か不便を背負っている
とはいえど、自分で歩けるし、自分で料理も作れる、仕事もしっかりやってるし、今では素敵な配偶者を捕まえて幸せ街道をばく進中なのである。

しかしどうだろう、みなさんがもし世の中で言う「健常者」だとして、
今後「障害」を持つ身になってみたら。
その度合いにもよるだろうが、人によっては嘆き悲しむだろうし、
人によっては「なにくそ!」と奮起しているかもしれない。
そして、何かにつけて

「自分は障害を持っています。」

というアピールをするのではないだろうか。

実は梟さん「障害」を印籠の様にする輩が非常に嫌いなのである。
それはもう、「障害を持ってるんです、可哀そうでしょ」から
「私の家族は障害を持っていますが、幸せです。」というモノまで全てだ。
ちなみにどちらかと言うと後者の方が嫌いである。

「障害」と言うのは先天的にも後天的にも「運命」だと、私は思っている。
例えば貴方が「可愛く生まれてきたかった」「頭が良くなりたかった」と言っても、努力してなれるものとなれないものがある。
そのちょっとした「自己不満」と「障害」は大差ないものだと私は思う訳だ

分かりやすい例えを出そう。
この世の中には「右利き」と「左利き」がある。
しかし、世の大半が「右利き」である為に、街のドアから文房具などまで基本的には右利きの人が使いやすいように作られているのだ。
勿論、左利きへの配慮もある。「左利き用のハサミ」とかが代表的だ。
実はハサミと言うのは基本的に右利き用である。
試しに右利き用のハサミを左手で使ってみてほしい。切りにくいだろう
ここで「切れるぞ!」って奴は十中八九屁理屈なので頭を冷やしてほしい。
そう、切りにくいのである。そういうモノなのだ。
少し例えが長くなったが、そう言った「左利き」への配慮はあるものの
基本的には「右利き用な世界」の為に左利きは地味に不便を強いられている

さて本題に戻ろう。
この「右利き・左利き」を「健常者・障碍者」に置き換えてみてどうだろう
事象の大小はあるものの本質は変わらないのが理解できるだろう。

左利きも、障碍者も不便を強いられている事には変わりはないという事だ。
そして両者ともに「右利き・健常向け」となっている社会に合わせる努力をして生活しているのが現状である。

さて、ここで疑問がある。
何故「左利きの不便さ」はそこまで優遇されないのに「障碍者の不便さ」はこんなにも世間で優遇されているのか
私からするとそれぞれに不便があるのだから両方とも考えるべきである。
しかし、世間はそこまで左利きを取り合ってくれない。なぜか。
答えは簡単「障碍者とは可哀そうな存在(庇護するべき存在)」だからだ。
そりゃそうだ、障碍者を庇う事を国が推奨し、障碍者サイドもそれを声高に叫ぶ、そして障碍者を庇う事で国は「善い事をした」という箔が付く。
そうやって障碍者を優遇するシステムが構築されたのである。

この世の中は「弱者救済」が推奨されているが、
私としてはこれを余り良しとしないで欲しいと思っている。
何故なら人間と言うのは、欲深き生き物だから
満ち足りることなく次へ次へと要求を増してしまうのだ。
障碍者への手当、サービス優遇などがあるかと思えば
「まだ足りない」これを平然と言ってのけ、更に上の段階を要求する。

例えばある障害を持つ議員がこう述べた

「(公共施設にて)車いす用トイレに多くの機能をまとめるのではなく、
それぞれのニーズにあわせたトイレを複数つくるべきではないか」

皆さんはどう思うだろうか。
私としては非常に手前勝手考えをする議員と感じ、即刻辞職願いたい。
こんなことを言い出したら全世界の人類来訪を想定して表示物を全言語で書くとかしなきゃいけないではないか。極端に言えばそういう事である。
昨今の「弱者救済」が悪い方向へ働き、「弱者の我儘」がまかり通るようになってきており、いうなれば「クレクレ厨」が大発生している。

最初の方に戻るが「障害」とは「運命」で付いてきたものである。
貴方のハゲも、貴方の近視も、貴方の足クサも、貴方の痛風も
全て「障害」と本質は変わらない「運命」で付いてきたものなのである。

つまり、
障碍者ばかりが優遇されるこの世の中はあまりにも不平等ともいえるのだ。

さて、ここでマジの本題に戻ろう。

上の話では散々、障碍者を叩いたが、それが本題ではない。

この話の本題はそう、「Fさん」である。
先ほどもお伝えしたように彼にも「障害」がある。

しかし、彼は「障害」を印籠にしないのである。
あくまでも私が接してきた限りではあるが、
彼は「障害」を公言しても「だからどうなんだ」という事はなく
気にしていないと言うか「左利き」くらいの雰囲気しか出さないのである。

これには私も脱帽した。
私が今までかかわってきた障碍者と言えば

「障害あります!」
「障害あるけど頑張ってます!」
「ADHD・ASD境界線上/双極性障害/手帳3級/服薬」とか

『なんだお前ら障害をポジティブステータスとでも思ってんのか』
と言った様子で本当に辟易していた訳で、
彼の毅然とした姿勢には尊敬の念すら湧いてくるほどである。

しかも、彼の場合は「障害あるけど頑張ってます!!」とも違い
「半身麻痺があります、一応言っときます」くらいの感じ
正に注釈というか、別に彼にとって「大事」ではない様に思えた。

それどころか「障碍者」という括りに彼を含める事すら、
それすらも失礼な気がするくらい、彼は自分に引け目を感じさせない。

そう、彼は単なる「Fさん」なのである。
その辺にいる「太ったおじさん」と同じように
彼は「半身麻痺のFさん」なのである。

彼に出会ったことで私の中で謎めいていた「障碍者の在り方」がハッキリした様にも思えた。

制度や「障害」という社会的ネームバリューに甘えることなく、
彼は自身が「障碍者」ではなく「個」である事を体現して見せた、
私にはそんな風に思えた。

じゃあ、まとめます。

前述の様な「障碍者を印籠の様に使う」という事をしていない方も
私が相まみえていないだけでいらっしゃることでしょう。
皆さんは「Fさん」と同じと言えます。
その方々には誤解なきよう、ご了承いただきたく思います。

私は「自分」を持っている方が好きなもので、
先日の「S氏」と同じく、この「Fさん」も同様にすいとーと
って事になりますね。
すぐに人に流されるような人間、周りにすぐ同調する人間
これらの人種はどうしても受け付けられないんですな。

両名の様な稀有な存在に出会えたこと、
私と縁を持ってくれた事に感謝して、
今回の記事を締めさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。



【あとがき】

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