社会に馴染むとは。

僕は、人に対して無関心でいることこそがかっこいいと思っていた。でも、それは本来の自分とは違うらしい。というのも、僕は、人の目ばっかり気にしているし、電車に乗っていても後ろから画面をのぞかれているのでは???という恐怖感に常に襲われているのである。他にも歩いているだけなのに他人からの視線を感じたりすることがある。それは、自意識過剰という僕が一番嫌いなものなのかもしれない。でも絶対に見られているとおもうんだけどなぁ…
人には期待しないなんて言う言葉は本当にそうだと思う。期待なんかしても今まで期待通り、期待以上のなんていうものが還元された試しがないし、逆に思ってた通りのものしかない。例えば、受験の合否、チケットの当落など神頼み、システム頼りの期待なんかしても変わらないものなのに、願ってしまったり、当たった時の妄想なんかをしてしまうのが嫌いだ。でもどこか未来への不安に対して、なんとかなるだろうなんて考えてしまうのは、なにか一種の期待なのだろうか…
僕は、社会に向いていないと一部の人から言われることがある、でも言ってくるやつは、それを向いていないってわかっているから、そいつもいわゆる社不なんだと思う。でも、僕は、気を遣うこともできるし、自分よりも人が楽しそうにしているのを見るのは好きだ。おそらく外面的なものではなく、内面的な考え方が陰湿で捻くれており最悪なんだと思う。
どうして決められたルールを守れない人が多いのだろう???僕はできる限りルールは守るようにしている。例えば、信号は青の時に渡るや、列に並ぶときは後ろから邪魔に、不快にならない距離感で並ぶや、自転車は左側を走るなどである。今読んでいて当たり前だろって思ったそこのあなたは守れていますか?多分守れてないだろう。。。守れよ。守れないやつが非常にむかつく、僕は守っているのに、どうしてあなたたちは守らないのか。守っている僕が、馬鹿馬鹿しくなってむかつくんだよなぁ。何の話?
まぁいろいろ言いましたが僕は何とかカメレオンのように生きてます。僕みたいに、馴染んでいない人もたくさんいて表では無理している人が多いのかなぁ、なんて思うとかなり楽になるから(見下してます)その優越感で生きる希望を毎日見出してます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?