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平成の旅路 その3

店に着いて挨拶も早々におろしたてのオーダースーツを颯爽と脱がされ中古のツナギ作業着へと着替えさせられる。

促されるまま軽トラへと詰め込まれ、走ること数十分のとあるオフィスで降ろされ
一息する間もなく次々と車から資材を下ろしていく社員達、特に私への指示は無かった気がするが、荷卸しを手伝ったり作業してるところに資材を運んで行ったりと全くの素人ながら結構頑張って働いていたのだが事あるごとに理不尽に怒鳴りつけてくる実に腹の立つジジイ社員が一人いた。

他の社員は特に無害なのだがこのクソジジイだだけは俗に言う老害を具現化したような存在だなぁと思いながら、なんとか1日目を終えた頃には夜の18時過ぎだった。
結局1番最初の業務はオフィスなどの大型エアコンの交換作業であった。

思い描いていたホワイトカラーの仕事への幻想はやはり幻だったらしく二日目も三日目もオフィスや個人宅に出向いては家電を治したり交換したりが主な仕事でデスクに座ってpcカタカタなどという仕事は全く回ってこなかった。

私より2ヶ月前に入ったという二人の先輩社員達はハローワークからこの仕事を見つけてきたらしく親のコネじゃなくても入れるじゃねぇかと余計辞めたくなったのを覚えている。

そして正社員として入社して三日目が終わりついに限界が来た。
私にしてはよく持った方だと思う。

これ以上あの老害ジジイにいびられながら働くなんてまっぴらごめんである。

親もこれには特になにも言わなかったし
辞めると伝えた電話先のおそらく雇い主の奥さんであろう社員さんが言うには例のジジイは昔からの社員で癇癪持ちらしく、奴のせいで何人も新人が辞めているという。
用語も分からない新人になにも教えもせず怒鳴り散らかす老害なのだから当たり前である。
そらハローワークでいつまでも募集している訳だ。

上もそれを分かっていてなおそれを放置しているということはもしかして助成金とかの為に新人をいびり続け辞めさせて求人を出し続ける事で利益を得ているのでは無いかと疑いたくなる程の新人教育への力の入れてなさであった。

流石に事の顛末を私に仕事を紹介してくれた
父親の昔馴染みのお客さんにも悪い事をしたなぁと感じたのか
今度はなんとあのまた誰もが知る大企業ソフトバンクの仕事を紹介してくれるというのでまたウキウキで受かる事が確定している出来レースの面接を形だけ受けて配属先へと出社すると
既に社内では今日来る人はお偉いさんのコネで入って来た凄い人らしいという噂が立っていた。

若干の気まずさを覚えたが仕事さえバシッとすれば問題ないだろうとテキパキ仕事を覚えて仕事をしていった。
結局仕事はソフトバンク本社ではなくその代理店つまり携帯販売員の仕事であった。

サービスとセールスを両立させるこの仕事が元々スマホ等のガジェット好きだったのも相まって結構性格とハマり、
すぐにフロアという役職についていた、同期の誰よりもスマホの知識がありどの人へどの案件を振れば契約が取れる確率が上がるのか仕事を振り分けるのも楽しかった。

しかしあくまで携帯販売員と言う名の営業なので各人それぞれ達成ノルマがあり、その達成率によって毎月の給料が変わってくるのであるが
フロアという役割は周りにお客様を振り分ける役割なので本来フロアという役職を本社から任命されてその個人ノルマを無くす代わりに役職手当などで補填したりするのであるが
入社3ヶ月で早々とその役割になってしまったおかげで私は店舗内の独自権限で平社員のままで自らのノルマを損しながらフロアの仕事を回させられるという正に器用貧乏が損をするという役回りをさせられていた。

しかしその環境にもめげずに遅刻も欠席もせずしっかりと仕事を頑張った甲斐あってか
入社半年にしてソフトバンク接客グランプリという毎年行われているコンテストに西東京代表としてまさか選出されたのである。
私の店舗から選出されたのは私と5年目のベテランだけでこの頃の私は仕事の達成感でわりと満ち溢れていた。

予選本戦と何度も本社に呼ばれ本社の社員の前で接客ロールプレイをして審査され勝ち抜いていくと最後は孫正義さんご本人に表彰してもらえるらしいのであるがそれよりもなによりもそこまで行くと雇い主である代理店からではなくソフトバンク本社から特別手当が毎月支給されるのである。

例え仕事中でもコンテストの日は早めに仕事を抜けてコンテストの為早退したりと自分でもまるでエリートだなぁと感慨にふけったりもした。

しかし仕事への情熱が続いたのもこの辺りで段々とギャンブルにハマるようになっていた。

同僚にも好きな人がいてよく仕事終わりなどに一緒に行っていたのだがちょくちょく仕事をサボってまで打ちに行くようになっていた。
毎日立ち仕事で何時間も働いてこのまま給料が上がってもせいぜい50万が限界の世界に飽き飽きしていた頃でもあった。

俺ならもっと稼げる、だけど働くのめんどくさいなぁと悶々としながら段々と仕事へ行かなくなり仕事に行くフリをしては毎日スロットを打つ日々が続いていた。

会社には親の手術の付き添いの為と本当にあった理由をなんとか伸ばしに伸ばしたりしてズル休みを続けていた。
しかし当然すぐに親にバレてブチ切れられ
私はまた逃げるように仕事を辞めた。

じゃあ今度は自分で仕事を探してくるよ!とネットで見つけた不動産営業の会社に入るとそこは朝から晩まで何処から手に入れて来たのかよく分からない卒業アルバムの名簿リストなどを使いひたすら電話営業をする仕事で勿論1ヶ月でバックれ(給料も貰っていない。

最後に見つけて来たCDプレス代理店の仕事は三ヶ月の試用期間が終わってさあ明日から正社員になるぞと言う時に正社員になると営業は残業代は発生しないと言われた次の日には車に轢かれたと嘘を付きオフィスにすら出社しなかった。

しかし働けども働けども絶望しかない世界であった。
私が高卒だからなのであろうか?
仕事の見つけ方が悪かったのだろうか?
仕事をすぐに辞めては家に引き篭もりオタク活動をする私を両親も不気味がりよく言葉の暴力で攻撃をしてきたりもした。

ふと思い立ちフリマアプリで最安の原付を見つけると即購入しその足でバイクを取りに行きナンバーを取って自賠責保険に入って暖かい格好をして荷物を纏めて旅に出る事にした。
アテなどなかったし金も無かった。

確か最後の手取り十八万くらいの振込を公園で生活しながら待ち望んでいたのを覚えている。

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