正直者の彼、狂信者の娘2
カビの匂いと、薄暗い石畳。錆びた鉄格子のザラザラとした手触り。唯一見える、月と空。虚(うつろ)な目をした彼女は、半開きの口で呟く。
「だれ、何処か、遠く」
カツン、カツンと石を蹴る音。最低限の鎧を身につけた女は闊歩する。虚を見つめる少女に目を丸くして、タッと止まり跪く。
「お迎えにあがりました。お嬢様。」
牢の鍵を豆腐のように切り、近寄る女に彼女は怯えている。あの頃、私たちを統率していた強い目をした彼女は、剣である私を物のように使う彼女はいない。
怯える彼女を無理やり引き寄せる。
そんな目をしないで。理不尽に立ち向かう彼女は何処へいってしまったの。私をひとりにしないで。
この国の王、付き従う物たち、又、国民は愚劣だ。豊かだと言えば聞こえはいいが、他の貧しい国から搾り取ったもので成り立っている。明日食べるものにも困窮していた。人として見られることがなく、力無いものは家畜とわからない。法による規制がない事と道徳の欠如から、人殺しのような犯罪が日常的に慢性的に起きる。そんな絞りカスで私は生まれた。
「おい!」
私には名前がない。水に映る顔はススまみれで薄汚れ、目は澱んでいる。
「掃除もろくに出来ないのか!このウスノロが!」
ガンッとバケツの水を頭から被る。黒い水滴がポトポトと顎から滴り、床を汚す。
「この役立たずが!」
(また殴られる)
フッと眼前に足が見えた。綺麗に磨かれた古ぼけた黒い靴がカツンと鳴った。
「すみません、ご主人様。まだ新人ですのでご容赦を。」
透き通るような、凛とした声が部屋に響く。顔を上げると、ひとり、深く頭を下げる人がいた。
ゴンと、鈍い音を頭に受けながらも毅然(きぜん)と頭を下げ続ける。ポタポタと赤黒い液体が床を汚す。
「お前に話していない!後ろに用があるんだ!」
ゴン、ガンと鈍い音。そして、バタンと強いドアを閉める音がするまで、彼女はピタリとも動かなかった。
「災難だったね。こんなに汚れちゃって。可愛い顔が台無しだ。」
初めて優しい声をかけられて困惑したが、涙が止まらない。
「どうしたんだい。私も一緒に片付けるから頑張ろう。」
これが彼女との初めての出会いだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?