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宇宙

近所の公園のベンチで小説を読んでいたら、自転車に乗った中学生位の男子三人組が「何もねえ公園だな、つまんなそう」と言って通り過ぎて行った。

私が中学生だった頃、何もない広場でも何かしら遊びを見つけて暗くなるまで遊んでいた記憶がある。こういったことが出来たのは、恐らく精神的にまだ子供だったからだろう。

そう意味では、つまんなそうと言った中学生達はもう子供ではなく、大人に近い存在に違いない。


少し前の話になるが、探査機はやぶさが小惑星からサンプルを取ってきて地球に帰還するというニュースが世間を騒がせた。

当時、はやぶさが宇宙から帰還した直後のJAXAの研究員やスタッフの映像をテレビで繰り返し流していた。はやぶさが無事地球に戻ってきた瞬間、作業着や制服を着た人たちが手放しで周りの人々とその喜びを分かち合っていた。

その姿はまるで子供のようであり、それがどれでけすごい事なのかよく分かっていない私も嬉しくなった。


宇宙に浮かぶ小惑星からサンプルを取るために探査機を飛ばすという行為は、恐らく私が思っている以上に重要なミッションなのだろう。

しかし、はやぶさが帰還した時喜んでいた人々は、そんな任務の重さとは裏腹にただただ子供のように楽しそうに見えた。

宇宙という無限にも等しい広場で、自分達の考えた遊びを楽しんでいるような、そんな表情だった。


大人になると何も無い場所で遊べなくなってくる。それは周りの目や、それまで培った自分の責任や常識がそれを許さないからだ。

そんな中、時々何も無い空間で遊んでいる大人達がいる。

周りの目も気にせず、自分たちの好きな事をやっている。そういう人たちを見ると、大抵周りの人々はネガティブでマイナスな反応を示す。

私も口には出さないものの、そういった感情を抱きがちだ。

だったら彼らと一緒に子供みたいに遊べばいいのではないか。きっとそれが一番簡単な解決方法だろう。


しかし大人になってしまった私は、突然何も無い、ただただ広い宇宙に放り投げられたら最後、何も出来ずその息苦しさで死んでしまうに違いない。






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