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イモ

焼き芋が出回る時期になると、私は部屋の中でいつも焼き芋屋の声が聞こえて来ないか耳を澄ましている。


来い、早く来いと心の中で叫んでいる。

何故なら私は焼き芋が好きだから。


私が焼き芋を好きになったのは、数年前のことである。

夜仕事から帰宅して、家のベットに横になりながらマンガを読んでいたら、遠くから何か音がする。

それは焼き芋の屋台の音で、ちょっと腹が空いていた私は久しぶりに焼き芋を食べる事にした。

声を頼りに住宅地を歩いていくと、焼き芋屋さんのトラックが止まっていた。私はこういった形式の焼き芋屋で焼き芋を買うのが初めてだったが、意を決してトラックのおじさんとおばさんに声を掛けた。

とりあえず私は焼き芋を3つ買う事にした。値段が表が書いておらず若干不安ではあったが大した金額にはならないだろうと思った。

するとおばさんが焼き芋の入っている窯から芋を取り出して秤に置く。それを見たおじさんが私に1500円と言った。

結構高いな?と正直思った。一本500円。私的昼飯換算で1週間分の値段である。ちょっとモヤっとしたものが胸に浮かんだ。

その後おばさんが夜遅くにわざわざ来てくれたからと、焼き芋を一本おまけしてくれたのでそんなモヤは直ぐに吹き飛んだが。

そんなこんなで家に帰って早速焼き芋を食べた。


うん、これは500円、いやそれ以上の価値があるわと思った。こんな美味かったっけ焼き芋。デカイし甘いしねっとりしてるし。一流パティシエの新作デザートでしょこれは。

私はテンションが上がり、一気に2本焼き芋を食べたが流石にお腹いっぱいになってしまった。次の日残った焼き芋を温め直して食べたが、やはり美味かった。


以来私は何かにつけて焼き芋を食べるようになった。

スーパーやコンビニなど、見境は無い。どの焼き芋もそれぞれ個性があって美味しい。

しかし一つ残念なことがある。

あの時食べた焼き芋屋さん以上の焼き芋が無いことだ。

確かにどの焼き芋も美味しいのだが、どうにもあの焼き芋に比べると見劣りした。

それは甘さ、大きさ、ねっとりさ、あらゆる面である。思い出補正がかかっていると言えばそれだけなのだが、どうにもそうじゃ無い気がしてならない。

それを確かめるためにまたあの焼き芋を食べたいと思うのだが、あれ以来あの時来た焼き芋屋さんは家の近所に現れなくなってしまった。


今でも私はあの焼き芋を味や食感を頭の中で反芻することができる。

年々その思い出の中の焼き芋を美味しくなっていき、肥大化し数を増やしている。

その内収まりきらなくなった焼き芋が、頭からこぼれ落ちて来るに違いない。

そして私はその最高に美味い焼き芋を一人部屋でモグモグするのだ。

ねっとり、もぐもぐ、ねっとり、もぐもぐ。


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