えび
最近本のページを捲っていて、ふとこの本の原料である紙は元々木だったんだよなあと唐突に思った。
あんなデカくて硬いものがこんな小さくペラペラになるというのが、微妙に現実離れした事のように感じたのだ。
私は木から紙が出来ているということを知っている。しかしそれを知らない子供などは、恐らくこういった話をしてもピンと来ないのでは無いのだろうか。
最近、生のクルマエビを食べる機会があった。
友人がふるさと納税の返礼品として貰ったものを、私もご随伴に頂ける事になったのだ。
私はエビ類が好きなので、猿みたいに友人の部屋を駆け回った。普段クルマエビを食べる機会といったら回転寿司くらいだ。こんな機会は滅多に無い。
友人と話し合った結果、ここは贅沢に生で食べようという事になった。友人も私も料理が下手なので、下手に手を加えるべきでは無いと判断したのだ。
そうして私はウキウキしながら皿に出されたクルマエビに手を付けようとした。
しかしここである異変が発生した。
どういう訳だがあんまり食欲が湧かない。何というか、美味しそうじゃ無いのだ。
あれ、何かクルマエビってこんなんだっけ?
表情の無い黒い目、頭の前部分から飛び出すたくさんの触覚、無数の足。宇宙に生息する昆虫のようだ。
何か、違う。
そうやってエビを凝視していると、友人はそんな私を他所に平然とクルマエビに手をつけていく。
殻を取り、頭をむしり、尻尾と大きな身だけにする。
あっ!っと思った。
美味しそうだと思った。これだよ、これこそがクルマエビだよ!と私は口に出しそうになった。
そこからようやく私もクルマエビを食べ始めた。
クルマエビは、美味しかった。
よくよく考えると、普段生活の中で見たり触れたりするものというのは、基本的に加工後の姿である。私達がその加工前の姿を見る機会というのは意外と少ない。
私が普段見るクルマエビは回転寿司で回っているクルマエビだ。その前の姿をじっくり見る機会というのはあまり無い。
普段使っている家電製品だって、これらの原材料というのを見たことが私は無い。
私が加工前のクルマエビを前にして美味しそうと思わなかったのは、恐らくそういう事なのだろう。いつも食べている美味しいクルマエビと頭の中で結び付かなかったのだ。
普段見慣れたものが、少し形を変えただけでそれだと分からなくなる現象はよくある。私はよく家でスマホを無くすのだが、何度も探した場所に突然姿を表すなんて事が良くある。
その場合、大抵スマホが液晶画面とはとは逆の向きに置かれている。
恐らくスマホ=液晶画面という方程式が頭の中で出来上がっており、逆さになっているスマホは私の頭の中ではスマホでは無く、謎の長方形の板なのだろう。
こういった現象は自分の中でいつの間にか出来上がった常識や物差が原因で起こっている。
色んなものを色んな角度や時系列で見る事が重要なのかもしれない。
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