【私の障害(言語障害 教会編 その2)】
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ところで、私は小学校四年生まで養護学校に通学し、それ以降地域の学校へ転校しました。両親がプロテスタントの教会に行っていたので、私も中学生になるとたまに両親と共に教会に行くようになり、高校はミッション系の高校に入学。ミッション系ですので、毎日礼拝の時間と週に一時間キリスト教の授業があります。
私は高校二年生の時に、洗礼を受けようとし教会の牧師先生と役員さんにその旨を話し、洗礼に向けての教えを受けることになりました。洗礼を受ける際にどうして洗礼を受けようと考えたのか、牧師先生と役員の前で信仰告白(審査)をしなければいけません。キリスト教や信仰について教えて頂いた役員の青木さん(仮名)もその場についてくれています。
私の順番になり、部屋に入るとずらい牧師先生の他役員さんの面々が私の方を向いています。それはまさしく高校入試の面接の雰囲気そのものでした。
私はこのような場に置かれると、緊張のあまり頭の中が真っ白になってしまいます。そのため、私は信仰告白に至った経緯と決意を文章にし読み上げました。二、三分でしょうか室内はシーンと静まり返ります。この静けさはなんだろう。もしや言語障害で読み上げたものが聞き取れなかったのだろうかなどといらぬ心配をする中、和田氏(仮名)が思わず苦笑しながら「その文章、自分で書いたの」と。
私は彼の言った意味がすぐに飲み込めませんでしたが、一応「はい」と答えました。しかし、もしや私自身ではなく誰かが自分に代わって書いたものを読んだのと思われたのではないかと。正直言って洗礼を受ける段階に来ているのか自信を持っておらず、落ちることはないにしろ、同情的に赦されたのだろうかと。しかし、キリスト教と信仰を教えて頂いた青木さん(仮名)から信仰告白の前に言われた「あなたは十分キリスト教教徒してやって行けますよ」と言う言葉を思い出しました。
では、なぜ「自分で書いたの」と訊かれたのか自問自答しました。その結果として出た答えは、言語障害があり知的にも障害があり、私にはこんな信仰告白の文章は書けないとどの役員さんもお思いになった末の数分間の沈黙だったのではなかったのかと。その沈黙を破るためにあえて和田氏が問うたのではと。私が回答し終わると、その場の息の詰まった雰囲気が急に和んだからです。牧師先生や役員の方々にすれば、和田氏の問いは皆の問いであり、信仰そのものよりも、私の言語障害によってどの程度の頭の持ち主であるかを知りたかっただけだと思います。
その年のクリスマスの洗礼式に洗礼を受け、その二ヶ月後に急に左肩から左手にかけいつもより強い不随意運動が起きるようになりました。その事を知った教会の副牧師先生が我が家を訪れて下さりました。
私はわざわざ忙しい中、訪れて下さる副牧師先生のために祈ろうと思い、特に気負うことなくすらすらと祈りの文章を原稿用紙に書き、副牧師先生が祈られた後引き続き原稿用紙を読む形で祈りました。私が祈った後副牧師先生が「その祈りの用紙、頂いても良いですか」と。私は別に拒むこともないので、そのままその原稿用紙を副牧師先生に手渡しました。
それから一ヶ月後、その日の日曜日の礼拝は副牧師先生が行いました。90分の説教が終わろうとする締めのところになり、「先日、体調を崩しておられる藤永さん宅に伺ったときに、藤永さんが祈られた祈りを今日の終わりにします」と仰り、私が手渡した原稿用紙を読み、説教は締められました。
礼拝後いつもだったら挨拶などしない方々がこちらを向き、軽く会釈をします。それは私にとって気恥ずかしさと同時に、やっと一人前の人間として扱ってくれたと言う思いがありました。
それから、二、三日後信仰告白の際に「この文章、自分で書いたの」と訊いた和田氏からなんと速達で私宛に手紙が届きました。そこに書かれてあったことは「素晴らしい信仰です」と言うものでした。多分信仰告白の際に仰ったことへの謝罪も含んでの手紙であったような気がします。
(前へ) (次回に続く)
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