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DANRO復活記念 こんな「ひとりを楽しむ」は嫌だ!

朝日新聞社が運営するヴァーティカル・メディアの先陣を切った「DANRO」が、初代編集長の亀松太郎さんの会社に譲渡されるという異例の展開となった。

実質的に大新聞と個人のM&Aである。素晴らしい。前DANROでは初日から書かせてもらったけど、新DANROでも書かせてもらえる機会をいただけるかもしれない。

だが、どうも歳のせいか筆が進まない。「自己批判が不相応に増大する」(ジャン・シベリウス)という言葉を目にしたけど、まさにそういう感じなのだ。

そんな挫折もせっかくの機会なので、「ひとりを楽しむ」をコンセプトとするDANROの復活を記念して、こんな「ひとりを楽しむ」は嫌だ!をメモ代わりに残しておきたい。

これ自分のことかと心当たりがある人もいるかもしれないけど、基本的に戒めを含めた自己批判のつもりなので気にしないでください。

1.本当はひとりを楽しんでいない

本当は彼氏や彼女、パートナーが欲しくてしようがない、でもいまはいないので、その寂しさや退屈さを紛らわすための行動を「ひとりを楽しんでる」ように書くのは欺瞞だろう。

さらに「ひとりで楽しんでる」ふりの様子を誰かいい人が見つけてくれないか、みたいな期待が漏れてると目も当てられない。

読んでいても感じ悪いし、そういうものが「ひとりを楽しむ」の枠の中に入っていると、コンセプトに合わせて書こうとするモチベーションが下がる。論外だと思う。

2.大量供給されたエンタメを消費してるだけ

たとえばPS4の新しいソフトが出た、PS5が出たので早速買った、ひとりっきりで何時間もこもりきりでクリアした、みたいな話は、確かに「ひとりを楽しむ」と言えばそうなんだけど、それって「ひとりを楽しまされてる」んじゃないかと思ってしまう。

新作のドラマで出てきたイケメンを追いかける。新しく登場したYouTuberに舞い上がる。もちろん自分自身が楽しんでいるという点では「ひとりを楽しんでいる」のは間違いないんだけど、一斉に横並びで流行って廃れるのを見ると、そこには個をあまり感じない。

何万羽ものブロイラーの前に、同じ餌が流れてきて食わされてる。あんまり「ひとりを楽しむ」という感じじゃない。

3.幼稚

まともな大人になれば、趣味が合わない人とも力を合わせて仕事をするし、社交もする。そういうのにどうしても耐えられないから、自分の趣味に引きこもって「ひとりが好き」というのは、成熟してない感じがする。

まあ別に他人にどう生きるべきだなんて言える権利は誰にもないんだけど、「本当はひとりを楽しめない」やつは論外だとして、個人的には「ひとりが好き」「ひとりを楽しめる」他者と、互いの違いを受け入れながら連帯するところに、大人の大きな楽しみがあると思う。

まさに悪い意味でのオタクなんだろうけど、自分の殻にこもって、他人と摩擦を起こしたくない、少しでも否定されたような感情を持ちなくない、といった未成熟な「ひとりを楽しむ」の方向では、自分は書きたくないし、読みたくもない。

「ひとりを楽しむ」が内包する断絶

以上、思いつきで3つあげてみたが、もうちょっとあるかもしれない。「ひとりを楽しむ」と何らかの関係があると思うけど、ことあるごとに「自分に自信が持てない」と嘆くライターが書くものはつまらない。自分は自信を持つべきだという強迫観念、その陰にある高すぎるプライドみたいなものに早く気付けよと思ってしまう。

さて、自分の話に戻ると、新しい原稿が書けないのは、クリエイティヴィティが枯渇しかかっていることの他に、そもそも「ひとりを楽しむ」ことについて書くことに絶望してるのかなと思ったりする。

例えば僕は、アルバン・ベルクという人の曲をとても愛している。この人の曲を聴いているとき、まさに「ひとりを楽しむ」という感情が満ちてくる。

ベルクの曲を繰り返し聴き、自分なりに楽譜などの研究を進めていくと、曲に対する感受性というか解像度がどんどん増していく。そうすると、ひとりの楽しみに深く没入していき、徐々に他人が入り込む余地がなくなってくる。

それについて書く以前に、あなたも聴いてみれば、ということになる。でも、おそらく誰も聴く気にならないと思うし、たぶん聴いても理解できないし、なんにも感じないどころか不快感を抱くと思う。

「ひとりを楽しむ」は、そういう断絶を内包している。

戦術までは分かるのだが

きょうもひとりで房総半島を回ってきて、自由を満喫してリフレッシュしてきた。しかし、これについて書いたところで「あなたに伝わるはずがない」「あなたに伝えられるはずがない」、ひいては「私の楽しみは他人と共有できるわけがない」という思い(まさに「不相応に増大した自己批判」)が膨らんでくる。

その一方で、むしろそういう気持ちの中にこそ「あんたらには理解できないだろうが、俺は楽しいんだ」という、純度の高い「ひとりを楽しむ」が生まれてくる可能性もある。

コラム執筆にあたり、戦術的には「ネタはポップに、切り口はユニークに」という組み合わせであれば、「ひとりを楽しむ」が読み物として成立しやすくなるのだと思う。

たとえば、入り口はコンビニ、ファストフード、100円ショップ。うまい棒にガリガリ君に焼き肉、回転寿司、美容に美食にダイエット。入り口は通俗的に、切り口は解像度の高い個人的な楽しみ方、が理想だ。

たとえば「私の愛するコンビニおつまみ」という感じで(略)編集者としてライターに助言することはできるのだが、問題は、老人がそこまで無理して書く必要があるのかな、と思ってしまうことである。

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