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「能書きなんて要らない」人生なんて、楽しいのか?

週末昼寝ばかりしていて寝付けないので、積み残しの宿題をひとつこなす。ひと月ほど前にDANROにこんなのを書いた。

さほどよく書けたものではないが(本業が忙しく、休日の夕食ついでに書いた)、配信されたYahoo!に珍しく76ほどコメントがついていたので、記録のために貼り付けておきたい。

誰が刺身をナメたのか?

ところで、昨年末に東洋経済オンラインが配信した「AIに仕事を奪われる、中学生以下の大人たち」が話題になったが、

ヤフコメは、いまや、その「日本語が読めない日本人」の実物が並ぶショーケースになっている。

最近、Yahoo!はコメントポリシーを更新した。「根拠のない批判や全否定的なコメント」まで規制した、けっこう厳しいものになっている。だからひと通りフィルタリングされているものしか残っていないはずなのだが、

「刺身だって、目利きの確かさや包丁捌きの腕など、見所は多い。刺身をナメるな!」

それでこんなコメントが残っているのだから呆れるしかない。

付け加えると、私は生魚をコンスタンスに出すことの難しさを理解したうえで、「うちは生魚やってないんスよね」と言い切る店主を擁護しているわけだ。

そのうえで、その難しい生魚の管理をした店から「今日はいいのが入ってますよ」と勧められれば、きちんとした仕事をしているのを確認したうえで「ちゃんと称賛しておいしく味わえばいいのである」と言っている。

なのに「刺身をナメるな!」って何? 誰が刺身をナメてるの? このコメントに「そう思う」を押してる102人って誰?

そういえば、ツイッターでもそうだが「ナメるな!」などと激しい怒りを表明すると、「いいね!」がつきやすいのは、どういうことなのか。これが、とりあえず大声を出すやつに従ってしまう、日本のムラ社会ってやつか。

私がバカにしているのは、「とりあえず刺身」とか言って、うちは生魚ないと答えると「えー居酒屋で刺身ねえなんて、ありえねえよ!マグロ出せマグロ」とか言ってるやつだ。

ふだんは産地も旬もへったくれもない、スポンジに赤インク染み込ませたようなものを食ってるくせに。あと、そういう客を相手に、粗末な魚を出して平気な顔をしている店もね。

キモい文章」は正当な感想の範囲

こういう上から目線が文からにじみ出ているのか、コンプレックスを刺激された輩どもがコメントをワーワー書いているので、いくつか載せておこう。

「記事のクセが強い」
「キモいオヤジのエラそうな態度に反吐が出るキモい文章」

前者は褒め言葉の範囲。意外に思われるかもしれないが、後者はかなりひどいものの、実はそんなに傷つかないし嫌でもない。なぜなら、それは事実と言っていいからだ。この人はちゃんと読めている。

私はキモいオヤジであり、エラそうな態度を取っている。特に間違ったことは書いてないし、感想としても正当な範囲ではないだろうか。

「太り過ぎだよ… 歳より老けて見えるぞ! 痩せた方がいいよ。」

これなんか読むと「確かにな。心配してくれてありがとう」と納得してしまう。実はコラムに使っている写真は、西荻窪で飲んだ三軒目からあがるところだ。相当飲んでいて顔も赤いし、むくんでいる(体質的に水分の代謝が悪い)。もう少しマシな写真に差し替えるか。

「自分は通みたいな事を語ってるが楽しみ方は人それぞれ」

逆に「楽しみ方は人それぞれ」みたいな無難なコメントは退屈だ。本気で「人それぞれ」と思ってるなら、私の楽しみ方も放っておくべきだ。ちなみに、私は「人それぞれ」とは思っておらず、自分の楽しみ方を他人に押し付けたい。

「自分の好きなものを好きなときに好きなだけ食べれることが一番の幸せだよ。そこに能書きなんて要らない」

こういう「能書きなんかいらない」とか言ってるコメントも、平和なようで凡庸すぎて苦痛ですらある。能書き垂れながら、ゲンゲの唐揚げがうまいと言ってる私の前で言うことはない。

「能書きなんて要らない」人生なんて、楽しいのか?

「素材に罪はない。罪深いのは食べ物や食べ方にいちいちケチつけて、挙げ句の果てに人格否定までやってのける、この筆者」

もっともらしいが、意味不明だ。急に人格否定とか言い出すのを見ると心当たりがあるのだろう。新橋あたりにいる「ただ日課のように刺盛りを頼み、一つひとつの味の違いも味わわず食い散らかしている団体の酔客」のひとりか。

「光悦感」は褒め言葉なのか

次に、好意的な方を。

「あ~。ゲンゲの唐揚げを食べてみたい。もちろん、旬の時期に当地に行って」(そう思う14/そう思わない0)

うれしい反応ですね。あれ……これもしかして、上板橋なんかで食ってるんじゃねえよ、富山まで食いに行けよという隠れDisりですか?

「記事良いね。魚、日本酒、魚を肴に酒を呑む旨味が伝わる。良い文章です。好きだな。」(そう思う29/そう思わない15)

日本は魚食が多いといいますが、それは刺身とか寿司みたいに、骨がきれいに取り除かれているものが主ですよね。

おいしい焼魚とか煮魚を、自分で骨を取り除くのが面倒とか言ってるおこちゃまは、こっちに来なくていい。あ、でもブリしゃぶにも骨はなかった。

「げんげの干物はある意味インスタ映えするかもよ。紐みたいで。」(そう思う20/そう思わない1)

優しいコメントですね。

「一冊の本を読んだかのような光悦感です」(そう思う4/そう思わない5)

「光悦感」という表現は、本阿弥光悦から来ているかどうか知りませんが、あまり聴いたことがないですね。いまネットで検索したら官能小説が何本かヒットしました(笑)。

「楽しい記事でした。年代が近いせいかな?
わたしも肉より魚派!
島国ならではで季節、鮮度、地域などの特性を生かした料理法が生まれ、今の様なグローバル化する以前の日本で和食のご飯や日本酒に合うよう進化してきたのが日本の魚料理だと思う。
高級魚料理や刺身や寿司なんかより美味しい大衆魚料理食べさせてくれる料理屋は貴重です。」(そう思う22/そう思わない2)

年上の女性ですかね(笑)。「グローバル化する以前の日本」が魚料理に残っている、というのは面白い見方です。実際そうかもしれない。

しょうゆは戦後、だいぶ産業化されましたが、塩や酢で食べるところもあるんですよね。そういう伝統は、ぜひ残してほしいと思います。

「長くて全部読んでないけど、魚の食べ方で友達を選ぶとかアタマ大丈夫か?」(そう思う32/そう思わない4)

余計なお世話だ。俺は魚がきれいに食べられない人とは友達になれない。実際に、友達に魚をきれいに食べられない人はいない。理由は分からない。

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