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テクノロジー『IT革命前夜』(827字)元システムエンジニアの思い出。読み切り

 アラン・ケイというIT革命史の上で欠かせないエンジニアがいる。

 私は退職後、放送大学に入り理工学系の学び直しを始めた。その中で面接授業・情報科学史を受講。
 講師は、アラン・ケイが描いたという絵をスライドに映した。子ども二人がそれぞれアイパッドのようなものを持っている。マシン上に複数のロケットが踊っている。講師が聞く。「この子たちは何をしていると思います?」描かれた年は一九六八年。未来を予言している絵だという。
 受講者はお絵描きソフトで遊んでいるんだろう、と答えるのがせいぜい。解答は「対戦ゲームをして遊んでいる」のだという。当時、世界中でオンラインリアルタイム処理ができる電算機は数千台しかない。当然アイパッドのような端末もない。そんな時代に、こんな予言が出来るのは「キチガイでしかない」と講師は語った。

 IT革命の核をPCと捉えれば、PCの発明と発展の中心にアラン・ケイはいた。彼が論文を発表していた七〇年代は革命前夜と言える。
 私が初めて彼の名前を知ったのは一九七七年。専門誌に載った論文を読んでからである。読んですぐにその重要性をさとった。それは新たな産業革命の予言に満ちていたからである。

 天然資源に恵まれない我が国は、加工貿易を行っている。輸入コスト不要のソフトウエア産業を振興し輸出すれば、日本の国力増強に資すると考えた。社内で「日本に産業革命を起こす」と宣言・吹聴。たちまち上司から「餓鬼か」と罵倒された。「いや誤解です。政治革命ではなく産業革命です」と言ったのだが、「問答無用」と切り捨てられてしまった。

 七九年エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が評判になった時期とも重なる。同僚からは「せっかくうまくいっているものを、なぜ産業構造を変える必要があるのか?」と反論があった。当時、苛立ちが諦めに変わってしまったことを覚えている。これではIT革命はこの国で成立しないと。
                    (完)


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