見出し画像

羽後日誌~読書編~ 5月25日更新

5月25日

トルーマン・カポーティ 夜の樹 読了

トルーマン・カポーティというと「ティファニーで朝食を」を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、彼が19歳で鮮烈にデビューしたのが「ミリアム」。

他にも本書のタイトルにもなっている「夜の樹」、「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「銀の瓶」「感謝祭のお客」など短編だけでもたくさんの名作があります。

本書にはいま挙げた作品すべてを含む9編が収録されていてけっこう「お得」。

カポーティの短編は、アメリカ南部の片田舎(カポーティの故郷)を舞台にした心温まる寓話風のシリーズと、都会(多くの場合ニューヨーク)を舞台にしたゴシックロマンとかゴシックホラーと言われるシリーズに大別していいと思うのですが、本書には前者が4編、後者が5編収められています。

個人的には前者が好きなのですが、ホンワカしたストーリーを美しく繊細に、そして鮮やかに描き出す力量はさすが。普通の小説家がこんなマテリアルを扱ったら単なる締まりのない「寓話風のお話し」に終わってしまうだろうになぁ。

また後者の方もその傑出した才能が別の形で表出しています。氷の刃に恐怖、不安、妄想を映し出すというか・・・。
宙ぶらりんな終わらせ方で読者を混乱させてみたり、「なるほどこうやって着地させるのね」と膝を打たせてみたり。いずれにせよ見事なストーリーテリングです。

川本三郎さんの訳も、30年物のビンテージですがまだまだ賞味期限は切れておらずカポーティの瑞々しい作風を伝えてくれています。
「ティファニー・・・」こそ含まれていませんが、「これぞカポーティの短編」と言っても良い一冊。

5月11日

トルーマン・カポーティ カポーティ短篇集 読了

20世紀のアメリカ文学最高の才能(と個人的には思っている)の短編集。
スケッチあり、モダンゴシックあり、ノスタルジックあり、ショートショート風あり・・・。

様々な設定、様々なモチーフの12編にはその眩いばかりの天才ぶりが発揮されています。

「アイスティーのグラスがたてる澄んだ音にも似て、心持ち甘く、透き通って冷ややか」(タイム誌)な文体はもうそれだけでも第一級の文学作品。

あわせて映画のような見事なカット割りで展開されるストーリーテリングの妙。(いや、映画の方がカポーティを真似たのか?)

しかもこの小説家が一筋縄ではいかないのは、切れ味の良い文章で引っ張りながら巧妙なトラップを仕掛けているところ。

傑作「無頭の鷹」の展開は何度読んでもちゃんと咀嚼できず、解説を読んで「ああ、そういうことだったのね」と気付く始末。(お恥ずかしい)

なにはともあれ、河野一郎さんの名訳もあって、カポーティの才能を十二分に堪能できる一冊です。

4月16日

芥川龍之介 戯作三昧・一塊の土 読了

芥川龍之介と言えば誰でもが思い浮かぶ代表作(羅生門・鼻・トロッコ・河童など)こそありませんが、知る人ぞ知る「準代表作」と佳作13編が収録されています。
さまざまな文体、さまざまなマテリアル、さまざまなプロットの短編たちは作者の才能の豊かさを感じさせます。
中にはちょっと理に勝ち過ぎた、というかアタマの中で書いてる感のある作品もありますが、多くの作品には「巧いな」「さすがだな」と唸らせられます。

内面からほとばしり出るようなダイナミズムというのはありませんが、丹念に彫琢されたまとまりの良い、計算されつくした作品たち。
その通奏低音は「静謐」。

気に入ったのは「或日の大石内蔵助」「舞踏会」「庭」「お富の貞操」「一塊の土」。
それぞれ味わいは異なりますが、いずれも見事な出来上がりです。
さすが、短編小説の名手。

3月23日

司馬遼太郎 新選組血風録 読了

司馬さんの「新選組もの」といえば「燃えよ剣」が有名ですが、

同書が新選組副長を主人公にした新選組の盛衰を描いた長編なのに対し、本書はいわばそのサイドストーリーといった風情の15編の短編集。
両書とも、ほぼ同時期に書かれています。(1962年頃)

各編の主役は近藤勇や沖田総司といった新選組の中心人物もいれば、本書で初めて名前を知る「無名隊士」も数多く含まれます。
もしかしたら、架空の人物も含まれているのかもしれません。

各編の内容もサイドストーリー集らしく様々で、色恋沙汰(異性/同性)もあれば、刀や大砲など隊士の身の回りの品を切り口としたもの、決闘もの、暗殺ものetc.
新選組という異形の集団に対し様々な角度から様々な色合いの光を当てて見事に乱反射させています。
とはいえ語り口は一貫して司馬遼太郎お得意のストーリーテリング。
司馬ワールド全開です。

読むのは何回目だろう・・・。 文庫本の表紙がボロボロになってしまった。

3月16日

エドガー・アラン・ポー 黒猫/モルグ街の殺人 読了

恐怖小説/探偵小説の元祖?として名高いご存知エドガー・アラン・ポーの短編集。代表作の「黒猫」「モルグ街の殺人」を含む8編。

十何年ぶり?かで読みましたが、いやぁ、なかなか・・・。

19世紀の小説なんで仕方がないのかもしれませんが、現代の短編小説とは随分趣が違います。
まず、前置きというか、枕というか、蘊蓄というかが長い。
作品によっては半分近くが「枕」。

で、文体もなんだかリズム感がないっちゅうか。これ翻訳者のせいではないと思います。
いわゆる描写がすくなく、語り手の独白というか説明というか蘊蓄というか(また出た)が続く。

そして内容。
とにかくストレートに恐怖やグロテスク、謎解きが迫ってくる。圧倒的というか、小細工なしというか。
洗練されてはいないが迫力はすごい。

普通の精神状態でアレはなかなか書けないんじゃないかな・・・?
探偵小説やホラー小説の「先駆者」として使命感に燃えて書いた、というよりは「コレを書けと魂が命じている。書かないと自分の精神がもたない」とやむにやまれず湧きおこってくるイメージを文章にした。という気がします。

半面けっこう説明的だったり「アタマで書いてる」側面もあったりしますが。

フクザツな読後感でした。

3月2日

井伏鱒二 山椒魚 読了

処女作であり代表作ともいえる「山椒魚」など短編×12編。

「山椒魚」とともに学校の教科書にも載っていそうな「屋根の上のサワン」もあれば、田舎の人々の風俗やふれあいを描いた「へんろう宿」などの諸編、さらには作者が住んでいた東京の早稲田界隈を舞台にした諸編等々、様々なマテリアルが扱われつつも「飄々として明るく。踉々として暗い」(亀井勝一郎氏の解説)作風は一貫している。

あっと驚くような仕掛けがあるわけでもなく、グイグイ引っ張るストーリーテリングでもなく、ふわりゆらりと漂うように書かれながらも何故かついつい引き込まれる井伏文学。「文学は結局文章に尽きる」(河盛好蔵氏の解説)とはまさにそのとおり。

井伏鱒二でまず1冊読むとしたら?と問われたら、この1冊なのかもしれません。

2月17日

サマセット・モーム コスモポリタンズ 読了

アメリカの名門雑誌コスモポリタンに連載された短編小説29編。

雑誌の見開き2ページというあらかじめ語数の決まったスペースの中に、世界各地を舞台に様々な人々の人間模様が巧みな筆致で手際よく詰め込まれています。

一連の小説が書かれたのは20世紀の初頭。

今で言うショートショートというジャンルやそこで期待される切れ味の良い文体やあっと驚く結末といった「約束事」もまだ確立されておらず、さらには19世紀の小説の方「お約束」である饒舌な蘊蓄の名残が受け入れられていた当時の作品ですから、短編の割には話がグルっと迂回したり、オチが綺麗に着地していない感があったりしますが、それでも読者をグイグイ引っ張っていくストーリーテリングの巧みさはさすが「短編の名手」。

序文に「これらの物語を面白いと感じてくれること以外には何ひとつ読者に要求していない」というだけのことはある。

そして底流にあるシニカルな人間観が時としてほろ苦い読後感を与えてくれます。

1月27日

川端康成 掌の小説 読了

川端康成の掌編小説 122編 559ページ。
若き日から四十余年にわたり書き綴られた「川端文学の精華」と裏表紙にあるが、確かに構成や文体は多種多様。
いわゆるショートショートっぽいものもあれば、その「瞬間」を切り取った「描写」的なものもあり、私小説風あり、ほとんど詩に近いものあり・・・。

具体的な執筆年月は書かれていないが、収録はおそらく執筆年に沿っているのではないか。
前半と後半では作風が異なる。後半になるほど「枯れた味わい」が出てくるというか。

とはいえ全編を通じて通奏低音として流れているのは川端文学独特のもの。
超短編小説といえばなんとなく簡潔な文体やシンプルな描写がイメージされるが本書はさにあらず、絢爛、妖艶、湿潤といった形容が当てはまる。
血や体臭(特に髪の毛や衣服についた臭い)、垢・・・みたいな言葉も浮かんでくる。
時として凄惨、不潔、グロテスク。ちょっと言い過ぎか。
色に喩えれば「濁った赤」か。
う~んうまい言葉が浮かんでこない。

最後にひとこと。
「美しい悪夢」のような小説たち、ということにしておきましょう。

2024年1月8日

明けましておめでとうございます。
久々の更新となりますが、本年もよろしくお願いいたします。

ということで、井伏鱒二 さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 読了

さざなみ軍記を初めて読んだのは小学生のころ。当時はちょっと難しかったが以降何度も読み返し、今回が何回目だろう?
飄々として朴訥、かつ格調高い井伏鱒二の文体は僕が最も好きな文体のひとつ。
なかでもさざなみ軍記のそれは秀逸。
まだ少年の面影を残す平家の公達の目を通して語られる平家一門の衰亡の記は一読に値する。
井伏文学の最高傑作?

ジョン万次郎漂流記は直木賞受賞作。
土佐の漁師の少年が遭難漂流し、米国船に救助されて渡米。後に明治維新期の日米交渉に活躍する数奇な運命を描いたもの。
「記録文学」の体裁をとってはいるが、さりげなく読者を引っ張っていくストーリーテリングの手際はさすが。

SFタイムスリップ小説の先駆とも言うべき「二つの話」も併せて収めれていて、コスパの高い1冊でした。

9月11日

司馬遼太郎 風塵抄

城山三郎 粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯

横溝正史 本陣殺人事件 相次いで読了。

僕は複数の本を「並行読み」するクセがあって、不思議にそれがほぼ同じタイミングで読了する。
少し前まではジョン・アーヴィングのガープの世界を読んでいたが、ああいうハードでドライな欧米小説を読んでいると、日本の書き手のウェットな肌合いが懐かしくなる。
今回読了した3冊を並べると、まるで共通点のない作風、ジャンルとも見えるし、事実そうなのだが、僕の中では「日本の書き手のテイスト」という意味では同じ括りだった。
ここに村上春樹が入ってくると随分違う。彼はむしろアーヴィング寄りのテイストですな。

司馬遼太郎さんの作品群は僕が「日本テイスト」に飢えた時に必ず手にする本たち。今回の風塵抄は初読。バブル絶頂の日本社会への司馬さんの憤りを強く感じるエッセイ。いくつもの点で日本の将来を危惧しており、それが現実のものとなっている。

城山作品は久々に手にした。本書は初読。
癖のない、しかし昭和を感じさせる文体はまさに「日本の正しいビジネス小説」。
日本の社会や経済がまだ幸せな育ち盛りだった時代に生きた幸福なビジネスマンの物語。
今の閉塞感に満ちた日本社会で生きねばならぬビジネスマンにとっては羨ましいかぎり。

最後に横溝正史。
実はこのヒトの作品は初めて読むんです。
映画はいっぱい観てます。昭和の時代の角川映画。
時を経て原作を読んでみようかと。。。
本陣殺人事件は一連の金田一耕助モノの第一作。
例のオドロオドロシイ横溝テイストはまだ確立されてないアッサリした仕上がり。
何冊か続けて読んでみようかな。。。

8月27日

ジョン・アーヴィング ガープの世界 読了。

ストーリーテリングの名手、ジョン・アーヴィングの代表作にして、20世紀米国文学の代表作である。

作家にしてレスリングコーチ、そして・・・。なんだろうこのヒトは?とにかく主人公T・Sガープの数奇な?生涯とその家族たちのクロニクル(年代記)。

死と暴力とグロテスクなユーモアに満ち、どこか病的なリズム感に読者は引きずられるように読み進めてしまう。

アーヴィングの他の作品の例に漏れず、レスリングも出てきます、ウィーンも出てきます。動物園も出てきます。そして何より、登場人物の多くが「普通ではない」人達。

どんな風に「普通でない」か?はホントに種々雑多。簡単には説明不能。そのあたりもアーヴィングの他の作品同様。

1978年出版。今回で読むのは3回目?ですが、40年近い風雪を経ても全く古びないのは名作の証。(筒井正明氏の名訳のおかげでもある)

「熊を放つ」「ホテルニューハンプシャー」と併せて是非一読をお薦めする「ジョン・アーヴィングの世界」です。

https://amzn.to/3RH4wmZ

8月9日

 追憶のほんやら洞 甲斐扶佐義 編著 風媒社 読了。

 2015年1月に火災で焼失した、京都の「伝説の喫茶店」、ほんやら洞にささげられた鎮魂歌。
 1960年代のオープンから現在まで、ほんやら洞にかかわった人々68人が寄せた文章を、店主にして写真家の甲斐扶佐義が編んだ。
 甲斐さんは僕が「最強の京都本」として以前紹介した、「京都みちくさの風景」と「ほんやら洞と歩く-京都いきあたりばったり」の2冊の写真を撮っている。モノクロのポートレイトに独特の風合いを魅せる写真家だ。
 (以前、一度だけほんやら洞の前まで行ったことがある。御所の北、同志社大学の近くだ。残念ながらその日は休みで中に入ることは叶わなかったが、その翌年、燃えてしまった)
 シンガーソングライター、劇作家、大学教授・・・。文章を寄せた68人は学者やクリエイターが多いが、国籍も多様で様々な個性あふれる文章を寄せている。
 一番読みにくかったのが巻末の甲斐さん自身の文章。失礼ながらかなりの悪文だ。(笑)
 とはいえ、収録された甲斐さんの写真の写真の数々とともにほんやら洞の歩みを、京都の現代史を堪能できる名著。
 是非お読みください。

8月3日

 夏目漱石を読んでいる。「坊ちゃん」。何度目だろうか。もしかしたら10回を超えているかもしれない。
 初めて読んだ漱石が「坊ちゃん」である。その後、「二百十日」にいって、「文鳥」「永日小品」、「吾輩は猫である」を経て、「こころ」「三四郎」・・・。ほぼお決まりのルートを辿った。
 結局、漱石の作品7-8割方を読んだだろうか。そして「坊ちゃん」に戻ってきた。

 漱石の作品をいくつか読むと、実はそれほど長くない作家としての彼の「実働期間」の間に、刻一刻と言って良いほどに文体や人物造形が進化を遂げていることに驚く。
 初期の作品では登場人物は比較的類型的で平板な印象。文体は落語などの語りもの的な調子が色濃い。それが後期になると、現代小説とほとんど変わらない緻密さとバランス、洗練度を具備することになる。
 いや、彼が現代小説に近づいたのではなく、彼が切り開いた道を後世の小説家たちが辿ったことで日本の小説の今があるのだ。当たり前だが。
 日本の「現代書きことば」は漱石によって確立された、と言われる所以である。
 小説家夏目漱石の果たした役割は、作品一つ一つのできばえを越えて偉大である。
 
 と、まあ漱石論めいたモノを開陳はしたものの、その一方で個人的な好みからいうと初期の作品群の名前が並ぶ。
 坊っちゃん、吾が輩は猫である、二百十日、永日小品、草枕・・・。
 硬質のリズム感溢れる文体は、内容なんて関係なく(というと暴論めくが)心地良い波動を僕の体の奥の方に送り込んでくれるのである。

https://amzn.to/3S9h2vV

https://amzn.to/48lpn6r

https://amzn.to/3S96HB6

https://amzn.to/47m3Adn

7月6日

最強の京都本
ある地域の名前を冠した出版物があるとする。
東京の○○、新潟の××・・・・。
その手の出版物が一番多いのは、おそらく「京都本」。
京都市内の大規模書店に行けば必ず「京都本コーナー」が設置されている。
京都に限らず、阪神の大規模書店でもかなりの数の京都本が置かれている。
そして、次々と現れる新刊京都本たち。
いやぁ、結構読みました。文字通り玉石混交。
その中で、敢えて1冊、最強の京都本を挙げろ!と言われたら・・・。
たぶんこれでしょう。

京都みちくさの風景 中村勝 甲斐扶佐義 著


残念ながら絶版のようで、中古品しか手に入らないようです。
中村さんは元京都新聞の編集委員?甲斐さんは知る人ぞ知る京都の写真家。
この2人のコラボによるフォトエッセイは、切り口の独創性、文章と写真のクオリティ、いずれも他の京都本にはない秀逸なものです。
もし機会があれば、是非お読みください。

ちなみに、同じコンビでもう1冊。

ほんやら洞と歩く-京都いきあたりばったり

こちらも前者に負けず劣らず。
最強の2トップです。

7月4日 

司馬遼太郎 ひとびとの跫音 2度目の読了。

 司馬遼太郎の著作は時として、エッセイともつかずフィクションともつかず、評伝ともつかない不思議な趣を持つことがあるが、本書はその中でも異彩を放っている。

 正岡子規の養子、正岡忠三郎とその友、革命家にして詩人の西沢隆二(ぬやま・ひろし)の生涯が一応の軸ではあるが、叙述は多岐にわたり、かついささかバランスを欠く。忠三郎と隆二のそれぞれの妻や、正岡子規その人、そしてその妹の律、子規の叔父にして忠三郎の実父の拓川、その妻等々。多くの人々が現れては立ち去る。

 いったい、司馬は誰の何を主題としたかったのだろう。

 忠三郎と隆二の両方もしくは片方が立つ舞台(二人とも不在の時もあるが)に入れ替わり立ち代わり登場しては去っていく「ひとびと」の跫音(あしおと)が、そして最後に退場していく忠三郎と隆二自身の跫音が、おそらく本書の主題だったのだろう。

 明治から昭和にかけて、時代に翻弄されながら歩み続けた名も無きひとびとの跫音が。第三十三回読売文学賞受賞作品。

6月7日 

京都ぎらい 読了 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?