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15の時に好きだった曲は多分死ぬまで一生好き


#スキな3曲を熱く語る

わたしは(我ながら)とびきり音痴だし、楽器も弾けない。
でも音楽はスキだと思う。

中高時代、わたしはとても孤独だった。
かっこよく言えば孤独だし、正直言えば退屈だった。毎日がだら〜っと流れる刺激のない日々、みんな一体何がそんなに楽しいんだ?と思いながら斜に構え、惰性的に生きてる本当に(我ながら)やさぐれた子どもだった。
学校はつまらないし友達も全然いないしで、暇さえあればYoutubeやTSUTAYAの視聴コーナーで知らないバンドを聞き漁ったり、中2病よろしく歌詞をノートに書き写したりしていた。

だから、スキな3曲を語るにあたっては、やっぱり10代のあの頃の自分と相談したい。

真っ赤な空を見ただろうか - BUMP OF CHICKEN


聞くと心がグジャグジャになって涙が出てくる。
中学生だったわたしのやさぐれた、思い出したら恥ずかしいような、子どものくせに大人びて、それでいて何者でもなかった自分が救われたあの高揚感を、あの瞬間にタイムスリップして味わえる魔法。

イントロなし。曲と同時に歌詞が始まる。

溜息の理由を聞いてみても
自分のじゃないからわからない
だからせめて知りたがる
わからないくせに聞きたがる
あいつの痛みはあいつのもの
分けてもらう手段がわからない
だけど力になりたがる
こいつの痛みもこいつのもの

終始軽やかなリズムにのせてヴォーカルの藤原基央は歌っている。
何よりその軽やかさに救われる。
藤原基央は、BUMP OF CHICKENというグループは、言葉遣いこそ乱暴なことがあれど一切、絶対にわたしたちにどんな思想も強要しない。

生きていると自然と生じる「幸せの裏にある不幸せ」について否定せずにいてくれる。
それはまるで、恥ずかしい、つらい、隠してしまいたい、消えてしまいたいという感情について、事も無げに「でもそれもお前でしょ。取っておけば?」と言われているような安心感だ。
10代は家族と学校が人生のすべてと言っても過言ではない。それは極めて不可思議な期間で、いつも正解や不正解に囚われていた。そこには葛藤や心の成長があると思う。
だからこそ「あなたが苦しんでいるとき、その人もまた苦しんでいるのですよ」と仰々しくお説教されるなんてまっぴら!
そんな子どもなわたしに藤原基央は「あいつもこいつも苦しんでるよな」とただ優しい声で歌うのだ。

夕焼け空きれいだと思う心をどうか殺さないで
そんな心 馬鹿正直に話すことを馬鹿にしないで

この曲はわたしの生涯のテーマソングにしちゃいたい。


ロミオとシンデレラ - 初音ミク feat.doriko

J-ROCKバンドについて語ったあとにボーカロイド。
令和の今、ボーカロイドに難色を示す10代は稀有だろう。でも10年ちょっと前はまだまだアングラのもので「推し」なんていう素敵な言葉も浸透していなかった。

機械が歌うソレはオタクっぽくて気持ち悪い。ニコ動?ナニソレ。歌ってみた?素人のカラオケ…?踊ってみた…?変なの。みたいな感じだった。
このロミオとシンデレラ(略してロミシン)はわたしの青春のど真ん中。2009年当時わたしは15歳。(!)
その頃からただただスキで仕方がない。
濃いピンクの背景に黒のドットとレース、寝そべる華奢な初音ミクのサムネイルは高校時代の待受だった。
耳に残るメロディーも、少しだけ大人びた歌詞も好き。
だけど何より好きなのは、ボカロを取り巻く当時のニコ動というカルチャー全体だ。(ボカロが好きな人ならそれを彷彿とさせる一曲が誰しもあるだろう)

ほとんどの人が知っていることと思うが、念の為。
ボーカロイドはヤマハが開発したソフトウェアで、リアルな歌声を合成する事ができる。
ボーカロイドを用いて楽曲を作る人のことを「ボカロP」という。
そういった楽曲が当時どんどんアップロードされていたのがニコニコ動画で、そのボカロ曲を歌ってアップロードするのが「歌い手」、踊ってアップロードするのが「踊り手」というように、当時のニコニコ動画はYoutubeを凌駕するクリエイターのプラットフォームだった。

わたしがロミシンを愛してやまないのは、様々なクリエイターとリスナーで熱狂していた当時のニコ動を思い起こさせるからだ。
時代は移ろい、動画クリエイターの立ち位置は見上げるほどに向上し、「オタク」は今や誇れるアイデンティティーと言えるだろう。
好きなものを好きだと堂々と言える当然や、推しという存在は何も芸能人やアイドルといった実在するものでなくてもいいという常識、それらは全部、時には揶揄され白い目を向けられてもなお、自分を貫き愛し愛された人々が築いた。
その一端を担ったのはボカロPで歌い手で踊り手で、わたしたちリスナーだ(と思いたい)。

曲中、ヒロインが舞踏会の後ガラスの靴をわざと置いていくその強かさ、「落としたのは金の斧」だと平気でうそぶく欲深さだって、きっと突き詰めれば才能だ。


▼歌ってみた ver.花たん▼ #口からCD音源

▼踊ってみた ver.ぱん2×こずえ▼ 言葉は不要。カリスマです。


ロマンチシズム - Mrs GREEN APPLE


2曲語ってみたところ、どうやらわたしは27歳になって、一丁前に過去を振り返っては「昔はよかった」的なこと言うようになってしまったようだ。

でもそれは別に今が嫌だとか言いたいのではない。

Mrs. GREEN APPLEを初めて聞いたのは3年前、爽やかで軽快で洒落たサウンド、ヴォーカル大森元貴の突き抜ける透明感のある声、顔を見合わせお互いを感じながら演奏するバンド、あ、コレ絶対好きなやつだ!!と思ったら案の定めちゃくちゃ売れっ子バンドだった。
わたしは心から思った。
「ああ、この人たちの音楽とともにある10代の生活、めちゃくちゃ羨ましいなあ」と。

好きな音楽を聞くと必ず思い出がひっついてきて、その時の気持ちや情景や、匂いまでもが蘇る。
もちろん大人になっても思い出は蓄積されていくけど、10代のソレの量は半端じゃない。
何もキラキラした青春でなくとも、わたしみたいに鬱屈したやさぐれキッズが、何かから逃げるようにYoutubeやTSUTAYAを漁って、自分の理解者、代弁者を探した思い出だってそうだ。
で、今の中高生が30過ぎた時、ああ懐かしいな〜って思い出すのがミセスなんだ、めちゃくちゃうらやましい。

コテコテのJ-ROCK、特に3ピースバンドが好きなわたしだけど、ガガガSPやサンボマスターみたいなジャパニーズパンクロックを愛してやまないし、そうかと思えばAKB48はメジャーデビュー前から好きだった。
ウェディングプランナーをしていた影響でJ-POPに触れる機会も多く、結婚披露宴に欠かせないあの曲、この曲、聞けばワクワクする大好きな曲がたくさんある。

大人になっても好きだった音楽は変わらないけど、新しいものに自ら出会いにいく機会は減っていた。
それは別に今の音楽がどうだからとかじゃなく、新しい良いものとどんどん触れ合うにつれて古いもののよさを忘れてしまいたくなかったから。
最新のおもちゃはきっと楽しいけど、毎日一緒に過ごしたくたくたのぬいぐるみを大切に抱いているこの時間が好きだった。
だから通勤のお供の音楽も「あなたにおすすめ」とアプリが勝手に作りだしたプレイリストで満足していたというわけだ。

でも、Mrs.GREEN APPLEを聞いた瞬間に「うわぁ〜〜〜もったいねぇ〜〜〜!!」と思ったわけである。

スキな曲は、もう戻れないあの頃を思い出させてくれる。時には自分の中では忘れたつもりだった気持ちさえ引っ張り出してくれる。
だから忘れてしまうことを恐れる必要はないのだ。

短い春が終わっていく 短い夏が終わっていく
新しい時代と生きてる あなたに恋をする

桜舞う春も日差し眩しい夏も、名残惜しさに比例するようにすぐに終わる。
全て思い出になってしまうけど、わたしたちは常に新しい時代を生きてるから、スキはこれからも増えて増えて仕方ないはずだ。

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