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捨てるための日記_39『惑星ソラリス』を観て

池袋の新文芸座で映画『惑星ソラリス』を上映するというので観に行った。

『ソラリス』は100分de名著のテキストとハヤカワ文庫で読んだけど、ソラリスの海の説明とかがよくわからなかったので、映画のほうも機会があったら観たいなーと思っていた。
しかし古い映画だし、NHKBSででも放送してくれないかなーくらいの軽い気持ちでいた。まさか関東圏に住むとは思わなかったので。都会は機会の宝庫だ。

で、映画のソラリス。原作者が映画に不満だったことは100分de名著で知っていた。

実際に観た感想としては、原作のあらすじを辿るとこうなるだろうなという部分はラブロマンスっぽくなっていて、原作の2人(といってよいのか?)の関係を映像にすると、あれ以上あまり表現のしようがないような気もする。

ハリーはクリスの妻で、クリスにとってよく知った人間だったからこそ、彼が感じる違和感が「不気味なもの」として恐怖を与えたはずなんだけど、よく知ったかたちをとっていたからクリスはそこに罰と愛をみてとり、受け入れた。

という感じ? 買ったはずの原作が手元にないのと、原作の細かいところを忘れているので映画の印象でしか語れないが。

ソラリスの圧倒的な他者感みたいなのは映画からはあまり感じなかった。でも原作者レフの書きたいところは「他者」だったんじゃないかという気がする。もしくは「神」。私たちの理屈がまったく通じないものに対してどういう振る舞いをするかということ。

原作にはないタルコフスキー監督の演出は好き嫌いが分かれそう。いかようにも解釈できそうだけど、私自身は説得力のあるものを出せそうにない。

映像になったものを見てはじめて『ソラリス』を映画の尺におさめるのは難しいんじゃないかと思った。もっと細かく丁寧な補助線を引かないとソラリスを扱うことの困難さがわからないんじゃないかなと。
『惑星ソラリス』はソラリス感はあまり感じなかったけど、当時のソ連っぽさはなんとなくわかったのでそこはよかった。

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