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捨てるための日記_27「ぐだぐだに疲れて寝た」

特になんてことのない1日だったのに、ぐっだぐだに疲れて20時に寝て、9時半に起きた。こういう日もある。

こういうときに見る夢は、夢のなかでもものすごく身体が重くて、なんてことない道路を急傾斜をのぼるように歩いていたりする。今回は道路に引いてある白線をロープ代わりに引っ張って、アスファルトの道をのぼっていた。

夢のなかの私はよく歩く。
そしてよく子どもの姿でいる。

どこまでも続く団地のなかで、知らない友だちと走っている。一緒に雲を追いかけている。だけど隣りの団地は、違う人たちの住んでいる団地だから、私たちはその手前で止まる。
あっち側は私たちのテリトリーではないから。これは現実でもあったことだった。

引っ越してから、その土地のことを夢に見るまでには時間がかかるけれど、今回は架空の場所ながらも、なんとなく「東京近郊」というイメージで夢をみていた。
そういうことはよくある。ぜんぜん富山じゃないのに、夢の中で富山と認識している空間がある。住んでいた年数が一番長いから、夢のなかの富山は広い。そして雑につながっている。

私には、いま住んでいる土地のイメージがまだ定まっていない。

ずいぶん長い間スマホを使っていると思っていたけど、今日は初めて夢の中でスマホを使っていた。写真を撮っていた。

思い起こせば、夢のなかではほとんど身ひとつで動いている。荷物をもっている気配がない。お金は持っているらしい。たまに電車に乗ったりしている。
電車を使っているときは、子どもの姿ではない。富山の夢を見ているときは車を運転して移動したりしているけれど、そのときも子どもではなかった。

夢のなかで誰かと関わっているとき、子どもの姿でいることが多いように感じる。
実際、大人になってからはほとんど単独行動ばかりだし、夢のなかでもひとりで行動して街並みを眺めている。

自分の脳がつくりだした夢という箱庭のなかで、ひとりうろついている。どこへ行こうとしているのかもわからずに。

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