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検証1 はたしてモーカルク氏は実在の人物だったのか?

現在、日本国内で流布されている鈴鹿サーキット誕生にまつわるストーリーのなかにはいくつか疑問を持たざるを得ないものがある。ここではそれらをひとつずつ検証して行きたい。

まず最初の疑問は1960年暮れに日本から塩崎定夫氏、飯田佳孝氏、小川雄一郎氏が渡欧した際に、オランダのロッテルダムでホンダ販売店「ヘッド・モト・パリス」のモーカルク氏の紹介により塩崎氏らはジョン・フーゲンホルツ氏と知り合ったという話である。

疑問1 1960年の時点でオランダ・ロッテルダムにホンダ販売店が存在したのか?

疑問2 オランダに「モーカルク」なるファミリーネームの人物が実在したのか?

筆者は1996年からオランダ人の友人多数と親交を深めてきたが、モーカルクという名前にはついぞなじみがなかったからである。また1960年の時点でホンダの販売代理店が存在していたのか?ヨーロッパホンダモーターが設立されたのが1961年であるのに対してその前に販売代理店ができていたのか?

疑問を解消するためにFACEBOOKのオランダ・ベルギーでのホンダコミュニティ内で上記の2点を質問してみた。コミュニティには1950年代からモータースポーツに親しんできているベネルクスのホンダの状況をつぶさにみてきた数多くのメンバーが存在している。彼らからの回答は以下の通りである。

結果1 ロッテルダムにはホンダ販売店はなかった。ホンダを輸入するHonda Motors NV はロッテルダム近くにある都市Ridderkerkにある会社であったが、存在したのは1967年~1979年であった。1960年時点でホンダ代理店がオランダには存在していなかったのである。

結果2 モーカルクというファミリーネームはオランダには存在しない。日本の書籍のなかにもモーカルクというカタカナのみの記述でしか存在せず、アルファベットでの綴りも示されていない。こちらでで推測した綴りである"MOCALC"、"MOHKARUC"、"MOUKALC"などを提示したがそのいずれもオランダ人の苗字として存在しないということであった。そもそも日本国内でもモーカルク氏のフルネームは示されていない。モーカルク氏が実在の人物であるのかどうかが大きな疑問なのである。

2012年にレーシングオン461号で塩崎定夫氏もオランダでホンダの代理店からフーゲンホルツ氏を紹介されたと述べている。しかしそんな人物は存在しないし、代理店も無いのである。

オランダ側、フーゲンホルツ家からの説明は以下のとおりである。

「ホンダは1960年からオートバイ・レースである世界選手権ロードレース(WGP)への参戦を開始した。その中でチームのマネージャである飯田佳孝氏はサーキット側の総責任者であるA.I.C.Pの会長であるジョン・フーゲンホルツ氏とコンタクトを持つようになった。」

オランダ人でも知らないというモーカルク氏。果たしてどんな人物であったのか?筆者も是非、知りたい。詳細をご存じの方がいたら是非、コメントで教えてほしい。

このnoteではレーシングオン461号に掲載された塩崎定夫氏の主張とオランダ側の主張とで異なる点について解説をしていきたい。


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