Takahiko Nakajima

鈴鹿サーキットの設計者であるオランダ人、ジョン・フーゲンホルツ氏の功績を広めたいと願っ…

Takahiko Nakajima

鈴鹿サーキットの設計者であるオランダ人、ジョン・フーゲンホルツ氏の功績を広めたいと願っています。フーゲンホルツ家と密に連絡をとり1950年代からの情報を独自に集めて検証しています。 http://hugenholtz.blog.fc2.com/

最近の記事

2013年2月22日ホンダ伊東孝紳社長からフーゲンホルツ家への塩崎発言お詫び状

モビリティランド曽田浩社長からの謝罪をうけてフーゲンホルツ家からレターと本がホンダに送られ、このことに対する感謝とあわせて当時のホンダ伊東孝紳社長から、ハンス・フーゲンホルツ氏へおくられたお詫び状も公開する。 2012年の塩崎定夫による理不尽な故ジョン・フーゲンホルツ氏への侮辱と塩崎定夫が主張した「自分が鈴鹿サーキットを設計した」という主張はホンダの社長自らによって否定されたのである。 なおこれらのレターはフーゲンホルツ家に保管されており、レターを書いた伊東氏、曽田氏、レター

有料
100〜
割引あり
    • 2013年1月29日モビリティランド曽田浩社長からフーゲンホルツ家への塩崎発言お詫び状

      ここに公開するのは2013年1月29日付でモビリティランド曽田浩社長からハンス・フーゲンホルツ氏(ジョン・フーゲンホルツ氏長男)に送られたレターである。 内容は2012年レーシングオン誌での塩崎定夫によるジョン・フーゲンホルツ氏侮辱発言の訂正とお詫びである。 塩崎定夫の所属元であった鈴鹿サーキット(モビリティランド)がこうやって公式にフーゲンホルツ家に謝罪をしているにも関わらず、当の塩崎本人からはお詫びのことばは一切発表されていない。 またモビリティランドがフーゲンホルツ家に

      有料
      100〜
      割引あり
      • 検証1 はたしてモーカルク氏は実在の人物だったのか?

        現在、日本国内で流布されている鈴鹿サーキット誕生にまつわるストーリーのなかにはいくつか疑問を持たざるを得ないものがある。ここではそれらをひとつずつ検証して行きたい。 まず最初の疑問は1960年暮れに日本から塩崎定夫氏、飯田佳孝氏、小川雄一郎氏が渡欧した際に、オランダのロッテルダムでホンダ販売店「ヘッド・モト・パリス」のモーカルク氏の紹介により塩崎氏らはジョン・フーゲンホルツ氏と知り合ったという話である。 疑問1 1960年の時点でオランダ・ロッテルダムにホンダ販売店が存在

        • 鈴鹿サーキットの設計者はフーゲンホルツ氏である。

          鈴鹿サーキットは誰が設計したのでしょうか?僕はオランダ人ジョン・フーゲンホルツ氏(Johannes Bernhardus Theodorus "Hans" Hugenholtz)氏だと考えています。絶対に間違いないと思っています。もちろん根拠があってのことです。史実に基づいてフーゲンホルツ氏が鈴鹿サーキットの設計者であることを日本に広めていきたい。そんな願いからこのnoteを始めることにしました。

        2013年2月22日ホンダ伊東孝紳社長からフーゲンホルツ家へ…