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⑭ブログの話に飽きたのに今日はnote2本目です。松陰先生どうしましょう?

前回からの続き。

さて、要求を断られた吉田松陰が帰ろうとすると、小舟が流されていることに気が付きます。

まあ、吉田松陰がどこまで本気でアメリカに行けると思っていたのかわかりませんが、もしかしたら小舟で帰ることは想定していなかったのかもしれませんね。

あるいは、ただ単に失念していただけか。吉田松陰と金子重之助は黒船のボートで岸まで送ってもらったということです。

しかし、小舟は盗んだもので、荷物も置いてきてしまっていたので小舟がどこかに流れ着いて幕府に見つかってしまうとマズイということで、吉田松陰先生らは必死に小舟を探します。

が、見つからず、結局自首することにします。

当時、海外に渡航するということは国禁であり重罪でした。いずれ小舟が幕府に見つかってしまうことを考えたら、もう自首するしかないということで下田町隣村の名主に自首します。

なんか、大儀があるわりには無計画というか無鉄砲というか、本人が良くても弟子は大変ですよね。

もちろん日本のためというのは志としては立派だと思いますし、そういった無鉄砲さも吉田松陰の魅力ではあります。

そして結局、二人は牢獄に入れられてしまいます。

吉田松陰は、このことについて、失敗して死罪になることは覚悟している、というようなことを言っていますが、続けて弟子にも、諸君もそれぞれやることをやれ、それが日本の為になる、ということも言っています。

ここになんとなくテロリスト的な考え方を見る人もいるようです。つまり、死んでもいいから国の為にやれ、ということですかね。

実際に松陰は後に老中(今でいうと総理大臣?)の暗殺を企てて斬首刑になっています。

しかし、こういった国家観というか愛国心は、現代こそ必要な気もします。

山林を切り裂いて設置された中国企業関連のソーラーパネルなんかをみると、ついついそんな風に思ってしまいます。

小舟に同乗した弟子の金子重之助は、藩籍を離れていたため、過酷な牢獄を転々とうつされ、士分以下の者が入る岩倉獄で病死。

吉田松陰は、士分が入る野山獄に収容されるわけです。

まあ、これが吉田松陰の破天荒エピソードとしてよく語られるわけですが、どう感じますか。

なんだかちょっと弟子の金子重之助が可哀そうな感じもしますね。

吉田松陰はいろんな語られ方をして、性格や人格も様々に解釈されて伝わっているので、どれが本当のところかはよくわからないところもあるんですが、時としてとても非情に感じられることもあるんですよね。

ただこのペリーの黒船のエピソードは、吉田松陰のエピソードの中でも有名ですし面白い話ですよね。

なんというかある種の痛快さが感じられるんですよね。

吉田松陰は、その後出獄を許され幽閉処分になりますが、自宅謹慎中の吉田松陰が近所の子弟に講義を始めたのが松下村塾につながるといわれています。

ブログ継続の大きな壁【やる気が出ない】をぶっ飛ばせ!

※)ま、こんな感じでいろいろ書いてみました。
たまにはいいですかね。さすがに見出しがないとちょっと読みづらいかもしれませんね。あ、フォロー/スキくれた方ありがとうございます。励みになります。


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