”遺書”の原稿を書き上げた!投稿した!そして...(自著誕生までのエピソード)
こんにちはヽ(´▽`)/ 昨日の続きとなります💕
人間、締め切り日があると不思議とがんばれるもの...何とか間に合い、
『人生十人十色コンテスト』なるものに投稿できた。
題名は、「天国のぴよちゃんからの贈りもの〜私の命がけお産ヒストリー」とした。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた。私の生まれた地域でもあった。
同日、胎盤剥離という子宮内の大地震が起き、病院に駆けつけた。
すぐに緊急手術となり、3日間の輸血ののち、母体のみ助かった。
第2子の娘は、震災で亡くなられた多くの命と同時期に、
産声を上げることなく、魂の故郷へ帰っていった。
同日、西宮でひとり暮らしの祖母が被災、連絡が取れなくなった。
三日後、ともに臨月で帰省していた妹が無事に第一子の娘を出産した。
これらのもの凄い重要な出来事がたくさん重なったこと...
私にとって、とても偶然とは思えなくて、様々な後悔と共に、
幾つかの大切な”問いかけ”を抱えて生きていくこととなった。
妊娠中毒症の体質の私にとって、生きて生まれてくれた3人の我が子のお産も、
文字通り、母子ともに命がけ、中毒症の数値が出たら早々に取り出し、
保育器の中で育ててもらう...”命が生まれ育つ”ということについて、
否応なく向き合わざるを得ない、三人三様のお産ヒストリーがあった。
もしかしたらこれは、天が私に与えた何か大切な使命があるのではないか...
過去のこととして風化させてしまうのではなく、ちゃんと言葉にして書き留めておきたい...
歳月が流れるにつれてその想いは膨らんでいったのだが、
内容が内容だけに、重い腰を持ち上げるきっかけが必要だった。
いま振り返ると、28年の歳月を経て、私にとっての機が熟し、
書きしるすきっかけと巡り逢えた!そういうことだったのだなあと思う。
書き始めると、28年の間、心の奥底にしまっていたしんどい記憶の蓋が開き、
書き進めることに躊躇を覚えることが幾度もあった...
けれども、最後まで書き終えられた理由...それは、
死産にまつわる全ての体験の奥に隠されていた”恵み”を明らかにしたい!
天国のぴよちゃんからの”愛の贈りもの”をしっかり受けとるために書くんだ!
その強い深い望みの灯火だけは、決して消えることはなかったから...
なぜ消えなかったのか...それは、人知を超えた次元のことであると感じている。
または、私自身のたましいの目的であったから...という表現もできるかもしれない。
・・・とにもかくにも、”マイ遺書”という位置付けで手掛けた作品を応募し、
予定通り検査入院をし、リスキーな検査も無事に乗り越え、元気に退院できた。
(次号に続く)
ここまでお読みくださり、とても嬉しく、感謝でいっぱいです💕
まもなく出版される自著、
『天国のぴよちゃんからの贈りもの
〜いのちの花束をあなたへ〜』
(11月1日全国の主な書店にて発売、Amazon予約受付中)
について、私の大切な方からの心尽くしのご紹介サイトです💕
noteにて、魂に響く、深い愛の小説を投稿されているあーやさん:
https://note.com/embed/notes/n425a42256d82
知る人ぞ知る、多治見の”ギャルリ百草”のインスタでのご紹介:
https://www.instagram.com/p/CyXvxxVvsQL/?igshid=MTc4MmM1YmI2Ng==
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