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家族ってなんだろう? 血の繋がりってなんだろう? 改めて考えてみた“はふぽのコラム”

こんにちは。ハフポスト日本版の榊原すずみです。
先週は私が休暇をとっていたので、このはふぽのコラムもお休みをさせていただきましたが、今週からまた復活です。

何度かここに書いている通り、私は母親との関係があまりよくなく、それは幼い頃からずっと抱えていた問題ではあるのですが、父親が休暇をとって家族みんなでどこかに遊びに出かけた思い出は、たくさん残っています。

きっと母と弟とうまくいかない私を気遣って、こまめに「家族みんな」のイベントを作ってくれていたのだな、と今になるとわかるのですが、当時の私はうれしさ半分、辛さ半分、微妙な気持ちだったことをよく覚えています。

その代わりといってはなんですが、我が家の隣で一人暮らしをしていたおばさまがとても私を可愛がってくれました。
当時はわからなかったのですが、パートーナーを早くに亡くし、一人娘も結婚し、北海道で暮らしていて一人暮らしだったようでした。

母と弟と上手くいっていない私は、学校が終わって家に帰るのが憂鬱で堪りませんでした。そんなとき、そのおばさまが
「うちで、お茶を飲んで行かない?」
と声をかけてくれたのでした。

それ以来、私は学校が終わると毎日、自分の家ではなく、隣のおばさまの家で過ごすようになります。
学校での出来事をたくさん聞いてもらって、宿題も見てもらって、まるで親子のような時間を過ごしていたのです。

血の繋がった家族、血の繋がらない隣のおばさま。
あの時の私にとって、本当の意味で家族と言えるのはどちらだったのだろう。
今でも、そんなことを時々思います。

そんな私も改めて「家族」について考えさせられたコラム3本を今回はご紹介します。
みなさんにとっての家族の定義、コメントなどで教えていただけるとうれしいです。

おすすめ①
3歳で生き別れた父。沖縄まで探しに行って見つけた、私のルーツ

現在、車=家、つまり車で暮らし全国を旅しながらバンライフを送っている、筆者の菅原恵利さん。

両親が3歳の時に離婚し、20年近く父親とは音信不通でした。
3歳といえば、まだ記憶も曖昧な年齢。菅原さんはほとんど父親の記憶がなかったそうです。

シングルマザーの母、弟と暮らしていた菅原さんを悲劇が遅います。
20代の前半でお母さまが亡くなってしまうのです。それを機に弟とも絶縁、住む家も失います。

そんな不安定な状況、精神状態で彼女は自分のもう一つのルーツである20年近く会っていない父親に会いに行こうと決意します。
そこからの彼女の行動力たるや、あっぱれです。

菅原さんは、何のあてもないままどうやって父を探し、果たして会うことができたのか。
その先に待ち受けていたものは?

壮大なストーリーぜひ、自分の目で確かめてください。

おすすめ②
暴力を振るう父と兄。冷たい母。家族に絶望していた私が、他人と共に暮らそうと思った理由

家族には「血が繋がっている」という事実があります。
それでも共に暮らすのは、時にとても大きな苦しみを伴うケースが起こりえます。

文筆家で漫画家の小林エリコさんは、いわゆる“機能不全家族”で育ちました。機能不全家族とは、ストレスが日常的に存在している家族状態のこと。 主に親から子どもへの虐待やネグレクト(育児放棄)、子どもに対する過剰な期待などが家庭内にあり、子育てや生活などの家庭の機能がうまくいっていない状態を指します。

血の繋がっている家族との暮らしに、苦しんだ小林さん。
このたび、お付き合いをしていた恋人と一緒に暮らすという大きな一歩を踏み出します。

血の繋がった家族と暮らすのさえ、苦労を伴うのに、他人と暮らすとなればそれはとても大変なことです。
特に小林さんにとっては、家族との暮らしの辛い記憶が頭にも、心にもこびりついている状態。
「恋人と一緒に暮らす」という決意をするまでの、葛藤や思いを綴ってくれました。

以前、小林さんに取材をしたとき彼女は「一緒に住んだら家族だと思う」と言っていました。
そういう意味では、小林さんは新たな家族を得たと言えるのかもしれません。
「婚姻関係になくても、血が繋がっていなくても、一緒に住んだら家族」。
みなさんは、どのように思われますか?

おすすめ③
「あかちゃんなんか、いらない」。突然言い出した息子の胸のウチは…

ハフポスト日本版の人気・名物連載。
コラムニストで主夫の村橋ゴローさんと息子さんの物語。

今回は「いもうとがほしい」と言っていた息子さんが突然、「あかちゃんなんて、いらない」と言い出したその複雑な心境がテーマです。

なんともイジらしい息子さんの言葉や思いにキュンキュンしながら、ぜひ読んでいただきたいというのが、担当編集者をしている私の個人的な思いです。

そして

「鬱陶しいわ」と逃げ出すくらいの愛を、お前にあげるから。

と綴る、村橋ゴローさんの大きな、大きな親としての愛情を感じていただければと思います。

本当、家族のカタチは一つじゃない。
いろいろな過程があって、いろいろな思いがあって、作られているんだなとつくづく感じさせてくれるコラム、3本でした。

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