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甲子園が見れなかった僕が甲子園に応援に行った話

こんにちは。
例の如く長期休みで暇になって筆を持ち始める山本です。

暇だから、というのもありますが、それ以上に書き残しておきたいなぁと思ったことがあるので久々にnoteでもってやつです。

タイトルにもありますが、今年の8月7日に甲子園に行ってきました。実は去年も行くことがあり、人生二回目の甲子園なのですが、今回は今後一生忘れることのない日になりました。

ご存知の方も多いかもですが、今年「母校の札幌日大高校が夏の甲子園初出場」を決めました。今回はその応援にOBとして行ってきました。という話です。

まぁよくある話なのですが、これは個人的に結構ビッグニュースなのと自分の野球への価値観や向き合い方を捉え直すいい機会になったので整理してみようといった具合でございます。お付き合いくださいませ。


⚫︎2016年7月 高校野球が終わった日の話

時は遡ること8年前。
自分が高校3年生だった時、南北海道大会の決勝に出場しました。ただあと一歩のところで北海高校に敗れて甲子園出場は叶いませんでした。

当時、自分は11番の背番号をもらってベンチ入りしていました。

夏の大会までの練習試合も記憶ではベンチ入り投手の中でも一番イニングを投げていたので、かなり意気込んで臨んだ大会でした。

ただ結果としては、ベンチ入りしたものの自分は夏の公式戦で一度も出場することなく高校野球を終えました。

しかもベンチ入りした投手で唯一自分だけ登板が無いという結果になり、負けたショック以上に勝負できずに終わってしまったショックが大きかったことを覚えています。

北海高校の校歌が流れた時は悔しすぎて涙すら流せなかった。それが自分の高校野球の終わりでした。

⚫︎2017年7月 高校野球が観れなかった日の話

それから一年。
甲子園から受験勉強まっしぐらの生活でしたが、運良く北海道教育大学旭川校に進学しました。

硬式野球部に入部し、ありがたいことに春のリーグ戦もメンバーとして参加させていただきました。大学野球のスタートダッシュはいい感じに切れていたと思います。

そんな最中、7月に一個下の代の子たちの南北海道大会が始まりました。

この時のことは鮮明に覚えていて、夏季休暇前のレポート提出ラッシュの時期で、レポートの作成を図書館でしながらバーチャル高校野球で北海対東海戦を観ていました。

ここまで高校野球は全く観ておらず、この決勝戦だけたまたま観れるタイミングでやってたので暇だしみるかーという感じでした。

ただ、いざ見始めた時には一年前の苦い記憶と満たされなかった悔しさと苛立ちと…色んなネガティブな感情が湧き出て途中で観ることができなくなりました。

今まさに夢舞台のあと一歩で大勝負をかけている画面の高校生と、一年前勝負ができずにいまだに消化できずに引きずっている自分とのコントラストに耐えられなくなってしまいました。

大学の新しい環境でスタートさせた野球の真っ最中だったのに、まだまだ高校野球を引きずって拭い切れずにいることを再認識し、あの頃から変われていない自分にすごく落胆しました。

ここからこの埋まらない承認欲求をエネルギーにTwitterで発信してみたり、学生監督をやってみたり、海外に行ってみたり、クラブチームに行ってみたり…と残りの大学生活で野球を使って色んな経験や機会を得ることとなりました。

結果的には高校野球の悔しさをある程度精算できるくらい貴重な機会に恵まれたなぁと思っています。

が、やっぱりどこか拭い切れない部分や引っかかる何かは大学時代も抱えていたなぁと今考えると思います。

⚫︎2024年8月7日 母校の甲子園の応援に行った日の話

あの甲子園を観られなかった年から早7年。
母校が甲子園初出場を決めてくれました。

ここまで夏3度決勝で涙を飲んだ〜というニュースが目立ちましたが、先述したようにその内の一度は自分達の代でした。

私はすでに就職で東京に出てきているので、決勝戦も7年前と変わらずバーチャル高校野球でリアルタイム観戦。

優勝を決めた時は自分のことのようにめちゃくちゃ喜びました。日大の友達とのグループLINEで喜びを分かち合い、自分は何もしてないのに親まで電話する始末でした。

また決勝を投げ切ったエースの小熊君は地元も一緒で小中のチームも全く一緒だったこともあり、何だか自分の代わりに投げて甲子園を決めてくれたかのように一方的に思い入れて応援したのでめちゃくちゃ嬉しかったです。

そんな感じで、初の快挙ということもあり「これは現地参戦せねば!」ということで甲子園に行って応援することにしました。

めっちゃOBっぽい
野球部同期の木谷と自分の代で正ショートだった岳と
めっちゃOB

甲子園の掲示板や至る所に母校の名前があることにシンプルに感動したし、校歌も歌えて本当にエモい瞬間ばかりでした。

試合は負けてしまいましたが、最後の追い上げも見事だったし、相手の京都国際がすごく鍛えられたいいチームだったので見応えのある試合でした。

(書いている今時点で京都国際はベスト4に残ったので優勝してほしい!)

本当にこんな機会を与えてくれた後輩には感謝しかないなーと改めて感じています。

また自分の高校野球も全く理想通りのシナリオではなかったものの、あの苦い経験があったからこそ甲子園に足を運べて特別な感情に出会うことができたなぁと振り返っています。

もちろんあの時の苦い経験に感謝、なんかありきたりの言葉で絶対に片付けたくはないのですが、8年越しに高校時代の自分の頑張りが報われたような、モヤモヤが消化されたようなそんな気持ちになりました。

本当に色んな意味で甲子園に行ってよかったなぁと思った1日でした。

⚫︎2024年8月11日 母校と一緒に自分も全国大会出場を決めた日の話

自分のクラブ関東予選が二日後に控えているにも関わらず、甲子園に応援に行ったっていうすごくアホな旅程を組んでおりました。

次は自分たちの番だ!みたいな意気込みはさすがに無かったのですが、自分の所属する川口ゴールデンドリームスも母校同様に全国大会初出場がかかる大会だったので運命的な何かを感じていました。

一回戦を勝利し、東京メッツさんと決勝戦。
8年前と同様ブルペンから試合を観ていました。

これもまた運命のイタズラで、8年前と同様5回まで接戦の展開だったので各所で過去の記憶が思い返される試合だなーと思っていました。

もしかするとまた投げずに終わってしまう展開もあるかもな〜と思っていたのですが、タイミングよく出番をいただき、味方の援護もあってリードのまま最終回へ。

ドリームスの悲願目前だという感情と、ここまでの苦しい経験が精算できるという感情と、色んな感情を持って最終回も投げ抜き優勝を決めることができました。

優勝の瞬間
とにかくめっちゃ嬉しかった
No1ポーズやるの密かに夢だった

ここまでみんなで力を合わせてやってきたので、文字通り全員野球で掴んだ全国ってことですごく嬉しかった

またそれと同時に自分の野球人生もやっと一歩進めることができたなぁという達成感というか安堵感みたいな感情も湧き出てきました

本当に色んなタイミングが噛み合っていい思いができたし、勝利は全てを潤すなぁと感じたそんな1日でした。

⚫︎改めて野球とどう向き合うか?

大会も落ち着き、ちょっと遅めのお盆休みをいただいて北海道に帰省しながら改めて野球への向き合い方について改めて考えてみました。

◾️まずは野球で承認欲求を満たしきる

結局北海道でも甲子園ばかり観てますが、やっぱり「野球で承認欲求を満たしきる」のは大事だなぁと思います。

色んなキツい練習も乗り越えてみんなここまで来ているはずなので、そのインセンティブとして「みんなに認めてもらう」って対価として全然見合っているんじゃないかなと思います。

ちょっと脱線しますが、そういう意味では今色々と甲子園についても論じられていますが、どんな形であれ「高校生の承認欲求が満たされる場」であってほしいし、「高校野球の墓場」の機能はちゃんと持っておける環境であってほしいなぁと思います。

とはいえ甲子園や大舞台に進める人は限られているので、多くの野球人(自分も含めて)は認められずして次のステージに向かうことになります。

それぞれがどう「認められるツールとしての野球を消化するか」でその人の人間としての深みや野球人としての魅力付けがされるのではないかなぁと感じています(自戒を込めて)。

◾️承認欲求だけで野球をやると辛くなる時が来る

これは野球に限らずですが、承認欲求のためだけに物事を続けていると苦しくなるタイミングがあるなぁと思います。

要因はいろいろあると思います。ただ思うのは僕が(もしかするとみなさんも)カッコイイと感じる人は「承認欲求だけで動いていない」「もっと違う得難い何かのために頑張っている」ということです。

僕も今まで色んな人に出会ってきましたが、カッコイイと思える人たちは例外無くこうだったなぁと思います。

ある人は地元を盛り上げるため、ある人は周りの友達を喜ばせるため、またある人は自分が自由に楽しく生きるため、と軸やベクトルは様々ですが、認められること以上の抽象的で高次元な何かを追い求めているなと思います。

そうした人たちを見ているとどうしても認められることばかり考えてしまう自分がダサいな、というかもう一歩高いところでチャレンジしたいな、といつも自分は思っていました。

だからこそ自分なりの承認欲求じゃない何かを持っていないといけないなー持っていないと野球が辛くなるなーと最近感じています。それは人によって社会貢献なのか自己実現なのかわかりませんが。

◾️ちょっとの承認欲求と大きな探究心で野球を楽しむ

そういう意味で言うと、自分は「探究心」なのかもなぁと感じています。
昔は地方創生とか色々考えたこともありましたが、野球においては「純粋に野球を深めること」こそ自分を満たしてくれる要素なのかと思っています。

一例を挙げると、今シーズンはオフからラプソードを積極的に活用するようになり、特に自分はスライダーの改善に多くの時間を割きました。

中学生くらいからずっと投げているボールではあるものの、なかなか理想通りのボールにならなかったり、気持ちよく空振りが取れるスライダーではなかったので数値を捉えてPDCA回しながら理想の変化球を作る、ということにこの歳になって取り組みました。

もちろんまだまだ改善の余地はあるものの、去年とは比べ物にならないくらい質の高いボールになったし、何よりも思い描くボールが投げれることや気持ちよく空振りが取れる快感は何物にも変え難いものがあります。

こうして最先端の技術の力も借りながら、26歳でも知らないことを知って、できなかったことができるようになっていくこの過程が野球で踏めることは最高だなと思います。

逆にいうとまだまだ知らないことやできないことも沢山あるし、それができるようになる可能性もまだまだ持ち合わせている、ということなのでもっともっと深めていきたいなと思います。

ただプレイヤーである以上大なり小なり承認欲求は持っていると思うので、ポートフォリオ的に色んな要素を持ち合わせて野球をやっていくのがいいんだろうなーと思っています。

◾️まとめ

そろそろまとめに入ります。
改めて強く思うことが2つあります。

一つは「続けられるだけ野球を続けよう」ということです。

かれこれ野球歴ももうすぐ20年目に入りますが、まだまだもっと色んな面で楽しめるなという感覚です。技術ももっと伸ばせるし、まだ見ぬ景色も沢山ありそうという期待感が大きいです。

まだまだ辞められない。

もう一つが「もっと野球で自己表現しよう」ということです。

これは先日芦名勇輔さんの動画で「幸福とは?」というテーマに触れていてすごく納得した話がありました。

幸福とは「自己表現」と「経済的自由」と「愛情表現」の掛け算でしかない

この動画を見てなるほど〜と思ったのと同時に自分の自己表現のツールは野球だなと思いました。

ただ野球での自己表現の幅ってまだまだ狭い気がしているので、自分の投げるボールやプレー、声など色んな手段を目一杯使って山本一真という人間の何かをもっと表現できたらなぁと思います。

◾️さいごに

8/31から全国大会が始まります!
チームの公式Xで色々発信しますのでチェック&応援よろしくお願いします!!

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