見出し画像

『友達はいない』と口にするエゴ

フジドウです。
先日、自分の大量のエゴに気づくという体験をしました。
しかもエゴをこじらせはじめてまして、あららら~😅と我ながら感じました。

その一つに『友達いない』と口にする発言。
恥ずかしながら、ブログを遡ると、そんな発言をブログにもしています。
傷つけられるのが怖くて、友達じゃなければ傷つかないという安直な考え=エゴ
でも矛盾していることが…その友達と思っている人と一緒にいると不快な気持ちになることがある。
不快な気持ちに焦点を当てると、それは諦められない心、執着心でした。

しかも少し前までの私の友達の定義が
友達=自分をそのまま出せる人=自分の我をぶつけていい人。
ね!最悪でしょー?

そんな気持ちでいるから
その友人と話していると、不快になるんです。自分の嫌な部分をその友人から見てしまう。
友人のカテゴリーを変な感情で作ってしまっていたので
そのカテゴリーを取っ払ったら、私、周りにめっちゃ信用できる友人がいましたw
仲間、大好きな人たち、みんな友人でいいじゃないか!
そうやって気持ちを切り替えたら、その友人とは不快と感じたこともへり、楽しい距離で過ごせるようになりました。


私、恵まれていたことがあって
短大から、ずーっと親友と呼べる大好きな友人がいたんです。
東北の震災後、意見の相違で距離ができてしまったけど
その人と親友だった経験は唯一無二。
私が求めていたのも、なろうとしていたのも、その友人だったのかも。
それがいつしかエゴのこじらせるきっかけになっていました。

ミスティック・リバーという映画で(ネタバレ注意)
夫が殺人を犯したと疑う妻、夫が殺人を犯したとしても支える妻が出てきて、それを見て衝撃を受けました。大概の人は前者、私も多分前者です。だけど私の親友は後者だった。
「その選択はあなたが不幸になると知っている、でもあなたがそれを望んでいるなら、私はそばにいて応援する」
こんな大きな信頼をもらったのも初めてだったし、こんな信頼ができる人間になりたいと思った言葉でした。

ジグソーパズルで考えると
過去の親友のような信頼の形ピースはありませんが、別の形での信頼のピースはたくさんあります。
違う場所のパズルのピースなのに『これはここなの!』と似てるピースを当てはめようとしていた。
これを無意識でしているのが、私の友達はいないと口にするエゴ=自我でした。

友人がいない、少ないと思うと執着して不安が増す。
その友人のカテゴリーというエゴの鎧に気付いて脱ぐと
怯える必要も怖がる必要も傷つくことも逆になくなる。

『友達』のエゴに気づいたの、でいつしか
私の『恋愛』のエゴ『結婚』のエゴについてもお話しできたらと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?