悪事の効率の良さ


 悪事がなされる理由に、その効率の良さがあります。効率だけ言えば真面目にやっている方が負けます。けれども悪事がのさばることは世の中が壊れていることですから、宿主が怪しくなります。そうすると悪事がたかる先としてうま味がなくなります。

 丹精されたサクランボのおいしさを満喫するにはまずそれを買う必要があります。それにはお金を払う必要があります。払うためには何らかの収入が必要ですね。収入を得るためには、普通は一定時間拘束されて仕事をしなければなりません。
 盗みをする場合はここらの価値の移転がおかしなことになります。生産物が盗まれると、相手方のその分収入が減りますよね。そして、窃盗の事件が片づかなけれ、生産者が損をすることになります。これでは世の中は成立しません。

 人を集めてただ飯を食わせる場合、誰かがどこかで支出していることを考える必要があります。政党が行う場合は税金が混じるのが普通でしょう。したがって、ただ飯を食うにしても、支出の出入りがはっきりしていないと危ないのです。ただ飯の裏で何らかの義務が発生している可能性があります。販促の清涼飲料水を貰ったとしても、普通それは、その後の商売で回収されているはずです。純然たる意味でのただ飯は、存在出来ないのです。そんな思いを気にしながら、食べても美味しくないでしょうに。それは毒入りですよ。
  一部の官僚の方。ゴクンと飲み込んだその高いワインのお代はご自身で支払いますか?接待は高くつきますよ。ステーキの肉片も同じです。接待をする方は、どこかで回収するのです。価値の移転については絶えず公共の福祉が考えられていなければなりません。「そんなめんどくさいこと。」とおっしゃるなら、あなたは公務員にも向いていないし、結局は悪人に区分されるのです。
 従って君子は、ただ飯を食ったりしません。十円の貸し借りも意識します。
 ところが、某首相輩出県の一部ではそうでないらしい。

 これは、感覚が狂っていると思います。
 感覚が狂った者には、正しい仕事は出来ません。ましては国政を司ることなど出来ません。泥棒に政治は出来ません。間違って泥棒が政治を行うことになった場合に、国は亡びます。亡びる前に劣勢になります。

 悪事が成立する裏には、正しい行動がそれを支える関係になっていますから、本来の正しい仕事で支えた人は、損を割当てられる関係になります。悪事は単独で成立しないのです。悪事は不正とも言いますね。悪事を行った者は正しく処罰されることが必要です。服役して出所すれば、基本的には普通の生活が送れるでしょう。

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