七夕の話(2)

2夜空いてしまいました。続きです。
織姫と彦星の七夕の物語

実は日本の農民たちはどうだったのでしょう?
実はこの7日については、全国各地、水にまつわる話が多いんす。
そのあたりの水にまつわる話は、数年前小論文にまとめています。お時間ありましたら

川祭・・・行疫神

日本に多く見られた習慣としてら女性は必ず洗髪し、子どもは7回水浴びをする、家族全員で行水するなど、長い梅雨の期間に溜まった穢れや祓い不浄なものを禊ぎ祓い清めるのです。
短冊🎋に願い事を書くというのも、一方でそれに厄災をくっつけて、川に流し捨てていました。じつはこれも祇園祭の山鉾や人形(ひとがた)にくっつけて賀茂川などにながしていたものと読み解けます。
 ご覧になった方も多いかもしれませんが、七夕には、おもに東北地方によく見られますが、藁や真菰で馬を作る風習があります。これは七夕馬、迎え馬などと呼ばれ神を迎える(乗馬される)ものとされます。
私も岩手県の鳴子へ行った折、体験制作してみました。

岩手県鳴子で藁馬を作りました

民間信仰として、必ず畑に入ってはいけないという禁忌がありました。というのも畑に神がやってくると考えられていたからです。

埼玉県川越市では、神が乗る七夕馬が胡瓜畑や豆畑を歩き回るため人間が入ってはいけない、入ると驚いた馬が蔦に絡まってしまうとか、所沢では七夕さま(牽牛と織姫)がササゲ畑で会うことになっているので、この日は畑に入ってササゲを収穫してはいけない、多くは七夕の日は仕事で田に入ってはいけないとされています。
これらの伝承からいえることは、七夕は穢れや厄災を祓い清める行事であるとともに、忌み慎みの側面もあります。

紙面が少なくなってきたので、簡単に私の考えを記すと、
民俗調査では、幼稚園や小学校で七夕を祝って竹を立てるまで七夕竹を立てていなかったようです。
また机を出して、茄子や胡瓜、西瓜などの初物をあげたりするのは、七夕さまは作神で初物喰いだなどと言います。
このように、中国伝来のタナバタ(乞巧奠)との大きな違いはお盆の初めの日とされたからです。
そして日本の庶民の七夕は『棚幡(たなばた)』出会ったのだろうと思われる。それが今の七夕の日に作った棚幡が、お盆の盆棚まで使われる風習もあるし、またはお盆にはあげないところもあります。ただ棚幡を作るのは、関西より西に多いようです。
この棚幡は、したがってお盆の祖霊祭な場であり、または施餓鬼と施餓鬼棚であったのではと考察されるのです。

棚幡


どうでしょう!?中国から朝廷・貴族の七夕と、一般庶民な七夕の違い。
やはり日本に土着するにあたって、日本の本来の祖霊信仰があったのだと確信しています。

初めてのノート。
拙い文章になってしまいましたがどうぞお許しください、

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