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アメリカでの起業失敗の経験を活かして、事業をつくる人たちに伴走する

今回のインタビューはファシリティ・ホストとして働くTetsuyaさんにお話をうかがいました。12年間のアメリカ生活での起業を経て、フルタイムから業務委託などスタイルを変えながら、Impact HUB Tokyo(IHT)で働いている期間は5年半以上。

IHTの中で働いている歴が一番長い、Tetsuyaさん。アメリカで環境学を学んでいたのはなぜなのでしょうか?そして、アメリカ起業を経て、なぜIHTのチームに参画をしたのか?
今回は、TetsuyaさんのWhyに迫りました!

Tetsuya Yakoyama
米大学を卒業後に起業を試みたが失敗。帰国後、行政や民間セクターで起業家支援に携わった後、2015年にチームに加わり、2019年秋よりフリーランスとしても活動中。米国留学中にサステナビリティについて学んだことが大きく影響し、持続可能な事業や活動に関わりたいという思いがあり、ソーシャルキャピタルやコミュニティについて関心を持っている。市民活動、市民メディア、科学教育、NPOでの職務経験あり。UCサンタバーバラ校環境学部卒。

シェアオフィスが世界に広がっていった時代からIHTへ

——TesuyaさんはなにがきっかけでIHTのチームに参画することになったのでしょうか。

新しいステップに進もうかと思っているタイミングで、たまたまIHTのニュースレターでオペレーションマネージャーを募集しているのを見つけてダメ元で応募してみたのがきっかけです。お金儲けのためだけにビジネスをやっていないところだったり、共感できる部分があって、そういう方向性で仕事がしたかったというのがあります。

——IHTで働きはじめる前はどんな仕事をしていたのでしょうか。
民間インキュベーション施設の運営、その前は行政系の社会起業、社会的な事業をする人の支援のプログラム、プロジェクトのスタッフを2年やっていました。
そのあと、民間のインキュベーション施設の立ち上げ時から運営を手伝いを3年半ぐらいやってIHTに転職しました。振り返れば10年強ずっとこういう仕事をしていますね。

環境学を学んだアメリカ大学時代


——そうだったんですね。アメリカの大学にいたと聞いたのですが、どういう勉強をしていたのですか?

環境学を学んでいました。リベラルアーツの人よりもサイエンス系や経済のコースをたくさん受講しながらものの考え方、正しい答えが一つあるのではなくて、視点や理解、アプローチがいろいろあるということを学びました。もともとの自分の性格や関心とフィットした部分もあり、勉強は大変だったけど面白くててしょうがなかったです。

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サステイナブルな商品、サービスをつくるため、アメリカで会社を立ち上げた過去


——アメリカで起業をしていたとのことですがどういう流れで起業したのでしょうか?

NPOや半公的な仕事をしたいと思っていたのですが、一方で自分で事業をやるのにも興味がありました。ただ向こうで就職するのは、難しかったので、1年だけ働けるビザを延長して、親に株主になってもらって会社を作り、自分を雇って労働者のビザを取りました。

——そんなやり方があるのですね!何の分野で起業したのでしょうか。

英語が不自由な外国人ができることで、手っ取り早くてビザもとれるのは輸出業だったのです。20年前は、オーガニック系のものは日本にはほとんどなかったんですよ。今でいうエコグッズ系のものを日本とアメリカで流通させたかったんです。

ビザや会計の部分で弁護士と会計士はいましたが、事業そのものの相談はできなかったので、すべて英語でやらなくてはいけないし、色々ハードルは高いと感じるところはありました。

今ではたくさんあるコワーキングのようなものや、アメリカで外国人として自分が活用できるビジネス支援サービスを見つけるのが難しかったのもあって、とにかくなんでも自分で調べてやらなきゃいけなかったのですが、それが一番勉強になったし開拓しているようで楽しかったのもあります。

感覚的に自由を感じたアメリカで出会った人たち。

アメリカでは環境系のNPOの人たちは、環境を汚す大企業の人たちと抜け穴がある管理をする行政と喧嘩していたという印象がありました。でも僕が勉強していた頃には、彼らは協働する雰囲気に時代が変わってきていて、産業と新しい仕組みを一緒に作るとか、そういう動きが加速しはじめたころだったように思います。

そんな中、ややヒッピー的な感覚を持ちつづけている70年代の若者だった人達が、小さな会社でユニークなエコグッズを作っていました。感覚的に自由な感じがしていて、世の中のメインストリームから外れている感じがするんですが、そこも魅力でした。

逆カルチャーショックの中、転職したというより「帰ってきた」ような感覚のIHT

——トータルで12年も海外にいたとのことですが、日本に帰国してからはどうでしたか?

逆カルチャーショックというのでしょうか、はじめの数年は、帰国後も何かと世間からジャッジされていると感じることがあり、窮屈な時期はありました。

そういう点では、IHTには日本を出た経験がある人や逆に海外から日本に働きに来ている人たちが多くいて、楽に感じますね。

——わかります。欧米のカフェにいるような雰囲気がありますよね。
その雰囲気のようなものを一緒に作っていく役割がコミュニティに伴走するコミュニティ・ビルダーやファシリティ・ホスト(ホスト)にあると思っています。雰囲気はみんなで作るものだと思っているので、作ると言ったらおかしいかもしれませんが、トーンをセットするというかある程度方向づけるというか。

ここではNPOの人、行政の人、スモールビジネスの人が協働して事業を起こすのをサポートしているのですが、それは自分が日本とアメリカの橋渡しをしようと思っていたことに似ているので、「戻ってきた」という感覚を持っています。

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事業をやりたい人をサポートすることにやりがいを感じるわけ。

——なるほど、ぴったりとその場所を見つけて、自分がやりたかった事業に戻ってきたというのはすごいですね。特にどんなところにやりがいを感じるのでしょうか。

自分がアメリカで起業を失敗しているから、事業を起こす人たちに何かしらのサポートできればとやりがいを感じるのだと思います。自分でもまた事業やりたいという気持ちはあるのですが、今はフリーランスとして関心のあることをやって、それが自分の事業だと思えばいい話だと思っています。ここではおもしろい人たちと出会えるし、コミュニティに新しい人たちが入ってきたりと循環もあるし、日本にいながら海外にいるような感覚が得られる場所だからいいなって思っています。

——今はフリーランスなのですね。
はい、最初はフルタイムだったのですが、働き方の自由度があってもいいと想いもあり、最近は業務委託としての契約に変えました。

——確かにいろんな働き方を許容してくれる場所ですよね。

5年で感じるコミュニティの移り変わり


——5年以上のもの間ホストをしてきて、コミュニティの移り変わりもみてきていると思いますが、何か感じることはありますか?

立ち上げ当時と私の入社時、今とはどんどん世の中も変わってきていますね。当時はコワーキングやコミュニティという概念がまだ一般化していなかった。でもだからこそそういう場所には尖った人やユニーク人たちが多く集まってきていたと思います。

とはいえ、今もIHTに関心をもってメンバーになってくれる方は皆さん、内に秘めているものをもっている人が多いですね。メンバーの数としてはどんどん増えていってますが、単に人数だけでなく、多様なバックグランドを持つ人々が増えていき、活性化していったと感じています。今はコロナの影響で自粛せざるえない状況ですが、イベントが頻繁に開催されていた頃は1階のフロアだけに100人以上の人がいて熱気がありました。

コミュニティの雰囲気を作る意味


——コミュニティに伴走するホストをしてきて思うことなどありますか?

僕は事業を起こした経験があるからこそ、メンバーとの距離間は大切にしています。ほとんどのビジネスでは、「サービス提供者とサービスを受ける顧客」という対局に位置する関係が通常ですが、IHTでははっきりしていないけれど、絶妙に中間の立場で距離感を保てるのがおもしろい。一方で、そこにはこのサービスの難しさもある。その良さと難しさの両方を体感しながら働けるのも面白いです。

メンバーの人たちは私たちの顧客であるのはもちろん、サポートする相手でもあり、でもだからといって先生みたいに教えるわけでもなく、話や悩みを聞いたりする。でもただ友達みたいな付き合いでもなく、ある程度の節度も必要で。ここでのホスティングは、その人たちの個に対して親身になったり、ビジネスとは違う距離間で信頼関係を持つところに価値があるんです。

サービスを受ける側と提供する側が対局にいるような、例えば高級ホテルのサービスの質とは違う、ある意味複雑で高度なものがあって、難しさとチャレンジがあります。それが、相手に対してだけでなく自分にとっても本質的な価値の見いだせる関係性だと思っています。その上に成り立っている事業がIHTです。信用と信頼には違いがあるのと同じですね。ソーシャルキャピタルは人の関係性ですから、質の違いがあると思っていて、どういう質が大切なのかが重要だと思っています。

——なるほど。ビジネスとは違う距離感で信頼関係を持つというのは、たしかにチャレンジですよね。ホストが雰囲気を作るというようなことをおっしゃっていましたが、ホスト中に意識をしていることはありますか。

ホスティングしているときは、意識的に周りを広く見ようとしているかなと思います。
学生時代にサッカーをやっていた時の感覚と少し似ていて、正面を見ながら、周りにも意識があって、広く把握しようとしています。もう1つの役割のアドミ二ストレーション系の作業とは、まったく違う種類の集中力でやっています。

横山哲也

メンバーさんが今日は元気ないとか、いつもと違う時間で来ているとか、仕草見ていないとわからなかったりそういう部分もみながらやっていたり。コミュニティの様子を見つつ、プラス施設の面も見ているみたいな感じです。いろんなことをインプットし、吸収して分析しようとかなり脳のエネルギーを使っています。とはいえ、神経がはっているように見せないように振る舞うようにしてます。アプローチしやすい人でありたいし、メンバーから声がかかってくるときにわかること感じられることは大きいので。

コミュニティ全体、運営、あと自分の考え方、好き嫌いみたいなところでバランスを保って、仕事をしています。感覚的なところがあって、言語化するのすごく難しいんですけど。でもセンサーを働かせるというのでしょうか。バスケやサッカーとかまわりを見るというか感じとるスポーツをやっている人はわかるかもしれません。


——日本とアメリカを橋渡しするようなコミュニティを作りたかった、という思いからIHTに参画。アメリカ起業の失敗経験をもとに、感覚的にコミュニティの雰囲気づくりに携わっている姿が印象的でした。

次回はどんな、「中の人のストーリー」に出会えるのでしょうか?
乞うご期待です。


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