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人間失格【みつおさむ】

 恥の多い生涯を送ってまいりました。
 私は陽気な子供でありました。ですが、それと同時に人の心というものがよく分かりませんでした。何をしてやれば喜ぶのか、何をしてやれば愛してもらえるのか、とんと見当がつきませんでした。しかしそれを、他人に「どうしたら愛してくれる?」などと聞けようはずもなく、ずうっと、ハテナの幼少期を過ごしたのです。

 次に、私は学生になりました。ここにきて、陽気な私に「狡猾さ」というものが身に着きました。この狡猾さというのは、たいそう役に立ったものです。クラスメイトと話すときには私の顔面には笑顔がへばりつき、誰もいなくなった時にはストンと外れる便利なものでした。
 笑顔というお面さえつけていれば、それだけで人が寄ってきました。私はこの笑顔を使って、奇術師のようにさまざまな人を騙していきました。クラスメイトも、先生も、家族も。皆私の笑顔に騙されていました。誰も私の素顔を知らない。
私は、えもいわれぬ高揚感と優越感に浸っていました。

 そして私は社会人になりました。すると、今までの私の武器であり、私を奇術師に仕立て上げてくれた笑顔は、なぜかあまり意味のなさないものになってしまいました。理由は分かりません。もしかしたら周りの人間も、処世術や就職面接で笑顔の必要性、重要性に気付いてしまったのかもしれません。
 もはや笑顔は私だけの武器ではない。そう気付いた途端、私の笑顔はずるりと剥がれ落ちてしまいました。そして、笑顔がはがれた私は、世の中に対しての反骨精神を見せ始めました。これこそが本当の顔だったのかもしれません。児戯の様に、ただ誰かに愛してほしいと思ってしまったのかもしれません。誰かに、何かに近づく事を諦めて、傍に来てほしいと呼ぶように。

 そうして荒れに荒れた私は、芸術と出会いました。心が洗われるようでした。自由な自己表現。誰かに愛されようなどと思ってもいないような奇抜で自由な発想。今までの私にないものをすべて持っている。それが芸術に対する印象でした。そうして私は、芸術の世界に飛び込んでいったのです。


そういえば、幼少の私はいったい誰に愛してほしかったのでしょうか。今ではもうすっかり思い出せません。

心の行方は、誰も知らない。

終。

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