香港は遠しと言えど
デジカメやスマホから10枚の画像をピックアップしつつ、(なるべく政治的にデリケートな問題には触らないようにして)いまは近くて遠い香港に思いを馳せてみたいと思います。
◇約2,500文字(キャプション含む)
もはや過去形で書くべきであろうか。香港といえばシンガポールと並んで東アジア最大級の金融センターであった。以前に勤めていた会社でも、香港支社に中国の国内拠点の親会社という機能を持たせたように、中国で企業運営をする場合の有益な窓口にもなり得る。そして、人民元を(ペッグしている香港ドルを介して)米ドルと等価交換できることもあり、香港は東アジアの金融市場として大きな存在だった。
現在では中国の経済力が強大になったので、相対的に香港の影響力は弱くなってしまった。香港と隣接する中国の深圳市が爆発的な成長を続けており、広大な敷地には香港に劣らない高層ビルが予断なく建設されている。(深圳湾の沿岸部では金融特区を造っていたが、その進捗はどうだろうか)
香港の金融センターは中国から突き出た九龍サイドではなく、ビクトリア ハーバーを挟んだ香港島側に位置している。香港島は急峻な山になっており、貴重な平坦部は島の周辺部にグルっとへばり付いているような印象だ。
山がちな地形なので、すべてが上へ上へと引き延ばされたような街の風景は九龍(半島)側も香港島も同じだが、どちらかと言えば、高低差を強引に克服して表情が豊かな香港島に惹かれてしまう。ゴトゴトと鈍い音を響かせる2階建てのトラムが走り抜ける風景もまた、香港島の魅力の1つになっているのは間違いない。
中心部から少し歩くと上り坂や階段となり、香港の違った様子が見えてくるのが面白い。茶餐廳と呼ばれる(腹ごなしも出来る)喫茶店が並んでいたり、魚や果物を売る個人商店だったり、露店だったりが坂道や階段に沿って連なっている。さらに上へ歩くと、立てた鉛筆のような細長い高層アパートが林立する居住エリアとなる。
高層ビル群のすぐ裏が生活感満載の路地だったりするので、この辺りの雰囲気は(街ごと造り変えてしまう)中国の本土や、ポルトガルの色濃いマカオとは全く異なっていると言えるだろう。
上環地区の裏手では乾物屋街から独特の匂いが漂い、となりの中環(セントラル)では欧米人が深夜まで酒を愉しむ蘭桂坊(ランクァィフォン)というエリアが夕方から活気づく。さらに地下鉄で2駅ほど東へ移動すると、若い人たちで溢れかえっている湾仔(ワンチャイ)からオシャレな銅鑼湾(コーズウェイベイ)の街並が続く。
地下鉄の2~3駅くらいなら東西方向に歩いても良いし、どこまで乗っても30円ほどのトラムに乗り降りして移動するのも楽しい。エアコン無いし遅いけど。
残念ながら自分は香港に居住したことは無いし、中国への出張がある時に立ち寄ることが大半だった。旅行先として訪問した機会は両手で足りるかも知れないが、そのときには香港人の旧友と食事やお酒を愉しんだりしている。そんな細やかで有意義な時間を過ごすことも、今後は難しくなってしまうのかも知れない。
然して、民主化デモや国家安全法の施行に伴う混乱は報道されても、香港の文化的な側面について語られる視点は非常に少ないように思う。
地下鉄のエスカレーターが高速なように、スピード感があってエネルギッシュな一方で、安いホテルにもホスピタリティーは行きわたっており、そして住民は温和かつ理知的である。それらの文化度は、やはり英国から来ているようにも思えるし、日本に比べて遥かに混血が進んでいることが醸成しているのかも知れない。
もちろん中国人にも様々な人がいることは承知しているが、どうしても香港人は大陸の何れとも異なるように感じるのだ。どこかで国家の威信のようなものを背負っている中国人に対して、香港人には(多様性に依る)奥行きのようなものを感じられ、その高貴さも街に浸透している。
今回の騒乱が1997年の香港返還のときのような杞憂で終わればよいが、こうした場所や文化や民衆が全体主義的な思想(CCP)に飲み込まれて翻弄される様子を目の当たりにすると、やはり寂しく感じてしまうのである。それと同時に、逃亡犯条例の改正から国家安全法の施行、それに伴う一国二制度の終了が見えていても何もできない日本と自分に対して、忸怩たる思いは拭えない。
やはり、香港には紛うことなき独自の文化があり、それが侵されることなく永遠に続くことを願って止まない。もし個人としてできることが願うことしか無いのであれば、いまは心から祈り続けたい。
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