見出し画像

紙と糸と糊と布、そういうものでできている

北海道大学附属図書館 嶺野智康

What are broken books made of?
What are broken books made of?
Paper and thread
And Glued clothes
That's what broken books are made of.

 とりあえず英語で発信、というわけではない。

 まずは、写真をご覧いただこう。
 これは一体、なんだと思います?

画像1

 ガラスびんの半分ほどを金属くずが埋める。そのなかみはステープラ(ホッチキス)の針がほとんど。
 折れた縫い針とカッターナイフの刃もまじっている。
 ガラスびんはジャムの空きびんの再利用で、メーカーがすぐにわかりそうなフタは外してある。

 
 話はやはり、昨年の4月、2020年の緊急事態宣言下にさかのぼる。

 緊急事態宣言が全国に拡大されて、北海道大学の附属図書館も各学部に設置された図書室も、あわただしく閉館閉室を余儀なくされて、急遽勤め人渡世となって初の在宅勤務、という状況が飛び込んできた。
 いまでこそ、通信の安全性を確保したうえで、家でできる仕事も増えているが、そのころは在宅でもできる図書館の仕事とは? と首をかしげ、しばし頭をひねったのだった。
 首をかしげる……ああ、ここにも四十肩の原因が!
(*四十肩にピンとこない方は北大図書館noteの first season の第3回、「R・ダニール・オリヴォーは四十肩に悩まない」をお読みください。宣伝でした)
 

 英訳未実装の図書館Webページの翻訳などが、そのときは在宅時の仕事の例として挙がっていた。とはいえ実際のところ、自宅から業務システムへのアクセスができないときに何をどうするか、という目の前の問題である。在宅でなにが可能かを模索する時間もウイルスは与えてくれない。

「なんだか輪番停電でNACSIS-CAT/ILL(*注)がとまったときを思い出しますね」

などといいつつ、私は首を逆にひねりなおしてから(あまり一つのネタにこだわり続ける姿勢はよくない)、

「この際、本を修理することにしますか」

と決めたのだった。

注)NACSIS-CAT/ILL: 主に日本の大学等研究機関の図書館で広く使用されている、目録業務と図書館間の文献複写・貸借業務の基盤となるシステム。止まってしまうとかなりつらい。


 当時、理学部の図書室にいた。
 理学部のなかみは、高校の理科に対応する物理・化学・生物・地球科学、そして数学、伝統的にはこのようにできている。
 ことに生物と地球科学で、発表年の古い論文も使われる度合いが高いので、国内のあちこちの大学から寄せられる論文の複写依頼に応えて、古い製本雑誌を取り出してはコピー、という仕事が結構な頻度で発生する。

 雑誌というものは、もともと、モノとして、構造的に弱い。
 これは「Science」「Nature」であれ、「花とゆめ」「コロコロコミック」であれ、「ユリイカ」「文藝春秋」「現代化学」「山と渓谷」「Cell」「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)」であれ、変わりはしない。
 出版された時の雑誌は、紙の束を糸で留める、ステープラ(ホッチキス)で留める、糊で固めるなどの方法を組み合わせて、あっちこっち開くことができる状態にしている。
 雑誌を図書館に収めて長く使うには、出版されたときの綴じ方では強度が足りないので、何冊かまとめて糸でかがりなおし、背と表紙をつける「製本」という作業をする。

 もっとも、ほとんどの場合は、図書館の職員が製本しているわけではなくて、専門の製本の会社に頼むのである。電子ジャーナルの浸透によりこの20年でもっとも激減した大学図書館の業務は、この雑誌を製本することにまつわるあれこれである、といってもよいだろう。

 おっと、閑話休題(話を元に戻す)。

 丈夫な構造に作り直して製本してはいるのだが、やはり経年で、貼り合わせたときの糊が劣化して剥がれてくる、なんべんも同じ個所が開かれ同じ論文がコピーされて、そのページから背が割れる、そういったことが起きる。
 しばしばそうした製本雑誌は直していたから、道具立てと資材さえ自宅にもあれば、修理はできる。
 かくて要修理製本雑誌を書庫から取り出す。
 
 当然ながら、図書室にあるのは製本雑誌ばかりではない。
 普通の本も古くなれば痛んでくるし、壊れるのである。

 なかでも、ステープラの針で本文の束を留めた本が鬼門だった。
 いくらか手馴れていた製本雑誌の直しは、わりとスムーズにいくのだが、腐食したステープラの針を外し、本体から取れかけたページをふたたび本体と一緒になるよう補強しては本文の束に入れ直し、必要に応じて厚紙の仮表紙を付加してかがり直す、糊付けする、という作業は、とてつもなく時間を食ってしまった。

画像2

 ここで写真を思い出してほしい。
 ガラス瓶の中の茶色く腐食して膨れた針金は、ステープラの針だ。すべて図書室の古い本から抜いたものだ。
 赤錆びている。錆は表面に浮いているどころか、針の芯まで染みわたり、赤茶けたボロボロの粉になって砕けてしまったものもあった。
 80年100年と本のページを留め、紙束を本のかたちにたばねていた針だが、赤錆で膨れ上がったものもあれば一見なんともなさそうな表面のものもあるのは、見て取っていただけると思う。
 腐食が針本体から染み出して針孔の周りの紙に広がっていくパターン。針そのものがダメになって本文の間のどこかで折れてしまったパターン。
 腐食していないものもあるが、それはそれで折り返した爪が強すぎて、針孔のまわりの本文の紙が破れて本文束から外れてしまうパターン。
 さまざまな理由でやむを得ず針を抜いて、糸でかがりなおす(折れた縫い針はこの過程で出た)。抜いたステープラの針は、豆腐に刺すというわけにもいかず、うっかり踏んづけたりすると嫌なので、不燃ごみの日までと思って空き瓶に入れていたら、いつしかこうなった。


 さて、こんな声も聞こえてくるような気がするので一応お答えしておこうと思う。

「国会図書館だとかでデジタイズしたものもあるでしょう?」
「古いものにそこまで時間と労力をかける必要はあるの?」

 前者については、

「デジタイズの底本が最善の状態の底本とは限らない、というのを国会図書館のみならず、たとえばGoogleででもどこでも、電子化されたアーカイヴに一度でもあたったことがあれば、想像がつくはずです」

 後者については、

「需要は出てみるまでわからないし、いざ需要があったときに壊れてるのでだめです使えません、で納得しますか?」


 といえば、パワーのある答えではなくとも、十分であろうかな、と思う。

 とかく、本の修復といえば貴重書、という方向性が強調されてしまうのは、よいことばかりではない。
 普通にある本を普通に使えるようにしておく、細心の注意を払わなければコピーできないような状態にはしない、そうした方向性にも、もう少し目を向けていいはずだ。

 さて冒頭のいかにも不自然な英文は、マザー・グースの「男の子って何でできてる?」などと訳される作の不出来なもじりであるのでご容赦ありたい。
 本は糸と糊と紙だけでつくっているほうが、いざ修理するのも楽なんです。
 ただ、今のほとんどの本を占める無線綴じの本は……この話をつづけるともっと長くなりそうなので、このへんでお開きにしましょう。

 
 ところで、かつて蛙にかたつむりと犬のしっぽでできていた存在は、馬上にいたこともないのに少年過ぎて、いまは血糖値とコレステロールと四十肩的な何かでできています。まもなく老眼も馳せ参じることでしょう。なかなかにつらいですね。

#北海道大学附属図書館 #エッセイ #本の修理

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?