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R・ダニール・オリヴォーは四十肩に悩まない

北海道大学附属図書館 嶺野智康

 昨年から四十肩持ちになってしまった。じつはこうしてキーボードをポコポコ叩いているいまも、痛い。寝返りのとき起き上がるときともなれば、とんでもなく痛い。ディオファントスの息子の年齢も越しているので、関節やら筋肉の不調箇所も、ため息とともにやり過ごさなければならないのだろうか。ならないのだろう。
 四十肩にもうひとつ思い当たる節がある。昨年メンバーになって関わった「ぐいぐいプロジェクト」(下記参照)が、"若手職員による~"と角書きつきで国立大学の業界広報誌に載っていたのだ。

 (ぐいぐいプロジェクト:コロナ禍に見舞われた2020年初夏、北海道大学附属図書館の職員たちが業務改善や新たな取組みについて検討するために立ち上げたプロジェクト。電子ブックや組織改編まで幅広いテーマを扱った。)

 40過ぎ老親持ちおじさんに"若手職員"は荷が重い。なによりあんまり赫奕たる提案ができなかったなあと背中を丸めているのだから余計に重い。

 ポストコロナの大学図書館を構想することと、今の図書館の業務を変えること。
 大きく二つの方向性で、いろいろと提案してみたり、他の若いメンバーの提案をあれこれ検討したりしたのだけれど、やはり勤めて長くなると、新しいことを考えようとしても、大きな構想が持ちにくくなって、こまごまとしたことに終始してしまったなあという反省はある。
 あわてて釈明すると、それだけ2020年4月からの緊急事態宣言下で、急な図書館のサービスの縮小を強いられてしまったことが、大きかった。首都圏では大学図書館のみならず国会図書館も、長期の閉館と再開後も利用の制限が続いて、SNSに研究者や大学院生の困惑があふれていたことを、みなさんもご記憶でしょう。
 そんなわけで「今回のコロナ」の備えはまったく不十分だったし、「ポストコロナ」どころか、なんなら予想される「次のコロナ」のときに、今回よりましな状況にするために打てる現実的な手もはっきりしていないな、というのが、自分の行っていた仕事内容も含めて、率直な偽らざる感想だった。どうにもやはり、目の前のことではないことを考えていくのは難儀なものだ。

 今回の「ぐいぐいプロジェクト」の成果として、最終報告にまとまった構想については、noteに限らずいろいろなところで発信してくれるだろうから、わたしが深くかかわったものから、お蔵入りしてしまったアイデアやまとまりに欠けたアイデア、そもそもアイデア未満で検討にのっけるにも至らなかったものについて、少々ほこりを払ってみようかと思う。

 まずは、業務から離れすぎて検討に乗っける機会もなかったままのことを、書いてみる。

 去る8月に本学から京都大学に移られた西浦博先生は、誰が呼んだか「8割おじさん」が通り名になったが、この8割とは、人との接触を8割減らすこと、だった。
 人と人の接触が8割減じるというのも、相当におもいきった変化だが、もっと極端な例を考えてみたほうが、思考実験としてわかりやすい。
 人と人とが直接対面することをほぼ100%忌避する社会を構想して小説を書いた作家がいる。
 アイザック・アシモフ(Issac Asimov)の1957年の著書『はだかの太陽』(The naked sun)は、恒星間航行とロボットの利用が一般化した未来で、ソラリアという、人間同士が対面で接触することを忌避し、厖大な台数のロボットに傅かれる、特異な文化の発達した惑星を舞台にした、SFであり推理小説である。
 60年以上前の小説だが、人間同士が対面コミュニケーションをしない社会という思考実験にとっては格好の素材になりえるのではないか。しかも、SFとしてミステリとして、どちらのジャンル小説としても、高い評価を受け続けている作品なのだ。単純に読むだけでも、十分に面白いことはうけあいである。
 非対面で、対面コミュニケーションの削減がこのまま続いた社会がどうなるかの思考実験を、『はだかの太陽』を素材にしておこなうような読書会イベントが出来たらこれは面白いのではないか。
 とは思ったのだが、それを図書館でおこなう必然性、という点でもうひとつ、なにかが足りないような気がして、「ぐいぐいプロジェクト」へは提案できなかったのだった。


 もうすこし、実際の図書館の仕事にかかわることで、「人との接触を削減する」という視点でもいくつか考えて、こちらは「ぐいぐいプロジェクト」でじっさいに提案してみたものもある。

 たとえば、図書館の本を返却する返却ポストを増やしてはどうか、というもの。2020年の4月~7月半ばまでは学生のキャンパス入構も制限されていたので、返したくても返しに図書館に来れない、という事態にもなっていたのである。もちろん、各図書館・図書室で返却期限を延ばす対応はしている。けれど物理的な本というのは、もう返したいのに自室にとどめ置くよりない、となると、それはそれでどうにも置き場所に困るものになってしまうものだ。
 ならば、キャンパスと市街地の境目に返却ポストが置けないだろうか? あるいは、キャンパス外の公共施設には? 
 大学まで来なくても返却できれば良いのでは、という考えである。
 入構制限が緩んでからは、キャンパス内でも図書館以外で学生の動線が集まるところに返却ポストが置けたらどうか、とも考えてみた。
 考えてはみたが、やはりこのあたりは、ラスト1マイルが遠いパターンのアイデアである。学内の図書館以外の箇所となると、そこから図書館までどう運ぶのか、ましてキャンパス外をや。
 中間報告で出したこのあたりの提案は「移動制限のある間は返却を延ばして無理に返さなくていい、とするのが結局いちばん接触を減らせるのでは」と指摘され、あえなく最終報告には盛り込まれずお蔵入りとなった。

 講義の再開や、図書室の再開館も、それぞれ設置元の学部・大学院で判断がわかれていた。なのでしばらく「こっちは開いているがあっちは開いてないので借りられない」というようなことも起きたわけである。加えて前々からずっとあった、札幌キャンパスが広すぎて本1冊のために北8条近辺⇔北20条近辺までを往復しなければならいのはいかにも不便ではないか、という問題。どこか1か所で、全学のどこの学部の図書室の本でも受け取れて借りれるようにならないものか。
 貸出しのシステム的には、いまいち不便だが、できないわけではなさそうな機能が実装されていたが、やはり不便さが否めないのと、ここでもやはりラスト1マイルの壁である(北8条から北22条あたりまでなら直線距離もちょうど1マイル前後でおさまりそうでもあろうか。それは偶然として)。誰がどうやって運ぶ。自転車便か?
「学内○○○○(にわかに有名になった配送サービス)?」
 と、ぽろっと打ち合わせ用slackに書いたひとことがイメージしやすいわかりやすいとプロジェクトメンバー間では意外な好評になってしまったのだが、これもまた実装できるかというとお蔵入りである。考えるだに、しっかり乗り手に保険をかけても、1件でもキャンパス内で事故が起きてしまってはいけないのだ。

 かくていろいろお蔵入りになったもののなかでは、やはりアシモフ『はだかの太陽』の読書会には後ろ髪がひかれる。ロボットの刑事と人間の刑事による優秀なれど多少凸凹なバディもの捜査小説でもあり、しっかり伏線が張られトリックが冴えるミステリであり、おそらくは現実世界を舞台にしては描きにくい問題をSFのころもをかぶせて描いたものでもある。
 物語の最後で、主人公の地球人刑事イライジャ・ベイリは、惑星ソラリアの社会の強みとされる三つの特徴、高いロボット技術・少ない人口・長い寿命を、その要素がすべて弱みにたやすく転化すると逆転させてみせた。返す刀でソラリアは過大な人口と短命そして技術の低さに悩む、作中の未来の地球の写し鏡であると指摘する。
 社会も集団も強くなりまた弱くなる。ある局面でそれまでの強みは弱みになり、弱みは強みになり、勝てたデッキでは勝てなくなり、最強の定石は破られる。
 2010年代の大学図書館のトレンドは、いわゆるラーニングコモンズ化、学生同士が、学生と教員が双方向のコミュニケーションをとる場になることを目指す流れだった。この流れは急に止まった。
 さてDXなりAIなり、次の波にチップを全部のせてよいものかどうか、確信はまだ、得られずにいる。
 スパっと切り替えが効かないのは、やはりおっさんになったということなのだろう。

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Image from Pixabay by kiquebg

#北海道大学附属図書館 #エッセイ #ぐいぐいプロジェクト

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