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「榎本喜八」選手のバッティング解説①~古武術が生んだ50年先のスイング~

榎本喜八選手とは?簡単に紹介

 榎本喜八選手は、元祖「安打製造機」とも呼ばれるほどのヒットメーカーであった。
 ただ、2000安打を打ちながらも名球会入りはしておらず、引退後にコーチや解説者として活躍されることも無かったため、一般的な知名度は高くない。
 それでも、同じ時代にプレーした一流選手たちからその実力を非常に高く評価されており、「知る人ぞ知る名打者」として語り継がれてきた。以下はその証言の一部だ。

 昭和の大打者・張本勲さんによれば、「首位打者争いの一騎打ちで負けたのは榎本さんだけ」。
 王貞治氏・長嶋茂雄氏など数多くの名打者の育成に携わった名伯楽の荒川博氏が語るには、「バッターとしての完成度は王より榎本の方が上」。
 「打撃の神様」こと川上哲治さんによれば、「本当の打撃の神様は榎本喜八」
 野村克也さん曰く、「王のほうが、よほど扱いやすかった。あれほどに恐ろしい打者には、後にも先にもお目にかかったことがない」「捕手野村として、一番対戦したくなかった打者」。
 昭和の大投手・稲尾和久をして、肘への負担から一試合に数球しか投げられないフォークボールを「榎本対策」として身に付けさせた。

Wikipedia「榎本喜八」の記事より。筆者による改変・抜粋を含む 


榎本喜八選手のスイングは、時代を50年先取りしていた!

榎本喜八選手は、1950-1960年代に活躍した打者でありながら、現代的な「パンチャー的加速メカニズム」を体得していた打者である。
 榎本選手のバッティングの流儀は、合氣道の達人・藤平光一氏からの教えを基にした「古武術打法」とも言うべきものだ。「故きを温ねた」結果生まれたのが、極めて現代的なスイングであった……という事実は注目に値するだろう。

 「パンチャー的加速メカニズム」が、NPBの一部の選手・指導者によって受け入れられ始めたのが、ようやくここ数年のことだ。
 榎本選手は、実に50年近くも時代を先取りしていたことになる。

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